新海家浅口郡長尾村

新海家
浅口郡長尾村





小野弘任のお墓を捜すために玉島長尾を歩き回っているとき、善昌寺北の丘陵にこの墓地を発見していました。

山村             新海
道純政安――恕仙長政――+――元振貞長
享保19  安永6   |  寛政11
室     室     |  室服部氏
            |
            +――元孝長好――+――元孝長之 ――+――元孝長俊――+――
                     |  安政2    |  明治28  |
               室林氏   |  室赤木氏   |  室熊谷氏  +――律 薄田篤太郎妻
                     |         |
                     +――愛      +――貞
                        福武厚重妻     明治23

最も年代の古い墓碑には、元禄十二年、○○院妙△日薫とありますので、宗旨が日蓮宗で、江戸初期から或る程度の勢力のあった家ということが想像できます。
政安、長政はその通称から医者であったと思われ、その院居士号が付く戒名から普通の町医者ではなくて、侍待遇、つまり大名家の典医を勤めていたのではないかと想像されます。現に長俊の妻古万は元岡田藩典医熊谷貞珉妹とあり、この人は下撫川村難波八藤太経徳妻満幾(岡田臣熊谷瑣珉娘)の実妹になるようです。
長政の墓碑には山村元振貞長父、貞長の墓碑には新海元振貞長とあって、この代に改姓が行われたことが判ります。長之の墓碑には元孝長好之長男とあって、貞長妻と長好妻の生存年代がほぼ重なるようですので、貞長と長好が兄弟としました。
宝暦八年歿山村龍泉子鶴松十二歳という墓碑から、恕仙=龍泉となるようです。たくさんの墓碑が並んでいると、小さな童子、童女という墓は彫られている文字も小さく、彫りも浅いので見落としがちです。しかし、幼くして亡くなった子どもの墓ほど親の愛情が余計に注がれるのか、案外貴重な情報が記されていることがあります。
貞長妻は山田村服部栄治之長女とあり、菊池家の先祖のようです。
長好妻は玉島林氏とあり、柏島の林氏でしょうか。
長俊の生年を逆算すると長之妻赤木氏十六才の子となりますので、少々無理のある系図かも知れません。律の生存年代は夫の薄田篤太郎から想像するしかありませんが、篤太郎の生年が長之妻の歿年と一致しますので、律は長俊の子としました。


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