竹村家
西北条郡津山小姓町
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佐吉 ――+――文吉 ――+――ゆき ――与志 ――芳二 | 明治35 | 妹尾彦四郎妻 楠本徳太郎妻 | 室美土路氏 | 賀々見嘉七妻 | | +――佐助 +――房助 明治37 | 大正3 室 | 室 | +――嘉四郎 | 分家 | +――善吉 | 分家 | +――伊之助 昭和20
伯父池田辰二著「親類記」に楠本氏の記述があります。
「嘉四郎兄弟の嫁ぎ先、徳島から仕事の都合で名古屋に移住。戦時中、@三(@は人篇のない低 辰二の父)は疎開荷物を預かり、訪ねた時の写真も残っている。日立か東芝の名古屋支店長程度の役職で、娘が当時武見太郎と医師会長選挙を戦った吉田富三の親戚に嫁ぐ」
房助の除籍によれば、房助の姉「ゆき(1862年生)」は明治16年10月小田中村妹尾彦四郎妻離婚復籍、昭和22年8月23日愛知県名古屋市東区東主税町3番地で死去、同居者楠本徳太郎が死亡届を出しています。
また、明治21(1888)年生まれの房助姪、姉「ゆき」娘「与志」の記載があり、徳島県板野郡川内村の賀々見嘉七から認知届されています。
2025年、楠本家関係の写真を@三の写真帳から見つけました。
@三と老婦人が並んで写っている裏に「1971MAR(昭和46年)」の刻印があり「神里町の自宅にて楠本よ志八十三才」と筆記されています。武見太郎と吉田富三が戦った選挙は昭和39(1964)年4月です。1971-1888=83 ですからいとこ同士並んで撮ったと判ります。
他に「入隊記念 昭和18(1943)年」という家族写真があります。後ろに学生服姿の青年と白髪の中年男性、前に高齢の老婆と中年婦人が並んでいます。当時の入隊年令は20才です。中年婦人は楠本よ志と判りますから、その後ろに立っている中年男性が楠本徳太郎と解りました。
それから恰幅の良い壮年男性が座った写真に楠本芳二と裏書きがありました。この男性は家族写真の青年と同一人のようです。そうすると、家族写真の老婆は竹村ゆきと思われます。1943-1862=81、八十一才と判ります。
更に、楠本家墓という墓地写真が三枚あります。寺院の墓地でしょうか、遠景に寺院本堂らしい建物の屋根と鉄筋コンクリート製の大きな建物、周囲には多くの墓が並んでいるようです。楠本家は一段高くして累代墓と墓標、釋浄蓮という単独墓が並んでいます。墓標には2人分の戒名歿年月日が彫られているようですが、釋、釋尼という文字が判読できます。楠本家の宗旨は浄土真宗と解ります。吉田富三の親戚に嫁いだ娘は芳二の娘、「与志」の孫娘のようです。
国会図書館デジタルライブラリーで楠本芳二で検索すると、日立レントゲン販売の名古屋営業所長楠本芳二という人が見つかりました。池田辰二の記録とほぼ符号するようです。
伊之助は明治十四年生、日露戦争に従軍、大阪で善吉と共に仕事をしていましたが、昭和二十年三月十三日の大空襲に遭って負傷、中谷入の甥三のもとで療養中、同月二十日に死去しています。
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善吉 ――+――八十一 昭和22 | 大正14 室小川氏 | +――惠治郎 | 分家 | +――亢一 | 分家 | +――健三 | 明治40 | +――利三 ――+――H夫 | 昭和62 | | 室豊田氏 | | +――T之 +――文子 | | 昭和64 | | +――K三 +――正子 | | 大正13 | | +――Y子 +――八重子 | | 大正6 | | +――T夫 +――道子 | | 石田勇太郎妻 | | +――M +――久子 | 西井浅太郎妻 | +――定太郎 昭和19
善吉妻「くま」は本町大字船頭町の小川利吉と「きわ」の長女です。明治三十八年五月、小川家を廃家にして婚姻届を出しています。それ以前に生まれた子、八十一、惠治郎、亢一は最初に小川「くま」の子として認知届出され、善吉と「くま」の婚姻届出と共に嫡出子となっています。
定太郎は姉文子の養子となりますが、昭和十九年二月十九日、海軍整備二等兵曹で戦歿しています。
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惠治郎 ――+――寛太郎 昭和32 | 室竹内氏 | 室 室藤森氏 | +==H | 藤森 | +――N 母藤森氏
惠治郎は明治三十五年生、最初、戸籍に専治郎と記載され、大正十年十二月、裁判所の許可を取って訂正しています。妻常子は、勝田郡勝加茂村大字勝加茂原竹内寛一妹で、大正十四年八月に寛太郎を生んで婚姻、翌年十二月に協議離婚しています。
Hは後妻藤森氏の連れ子で藤森姓、Nは惠治郎と藤森氏との間に出来た子で竹村姓です。
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亢一 ――+――寿一 昭和57 | 室 | +――節夫 | | +――美文 | | +――実
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嘉四郎 ――+――利一 ――愛子 昭和15 | 昭和9 池田太郎妻 室池田氏 | 室八木氏 | +――室二 | 明治42 | +――@三 | 池田家嗣 | +――喜代子 高木久治郎妻
愛子のあとは、その四女が相続しています。
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