安田家
下道郡岡田村





上房郡中津井の室家墓地で読んだ碑文に安田一学のことが書いてありました。

古川古松軒(1728〜文化四=1807年)が記した岡田藩上士の由緒書に、
「安田氏の今の当主は九十九。脇坂家浪人平右衛門が伊東信濃守長貞(1643年生、万治元=1658年家督相続)の若いころに仕官した。この先祖も(中村氏と同じ)朝鮮からの渡来人と聞いている」
とあります。
「南無妙法蓮華経 **院久嘉日* 宝永元(1704)年 安田氏平右衛門
         **院実相妙* 元禄十五(1702)年」
という墓がありますので、これが二代くらいに相当すると思います。

平右衛門  ――平右衛門  ―― 一学久茂―― 一学久品==一学則久――+――九十九方久 ――  久道――+
        宝永1     宝暦5    宝暦5    中尾氏   |  文化1     安政3   |
        室       室      室      文化6   |  室       室     |
                              室     |                |
                                    +――元子            |
                                       波多野直香妻        |
                                                     |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――  久敬
   文久1
   室

佐十郎久品は宝暦三年に家督を相続して一学を襲名しています。この年、中村国治妻の弟で備中笠岡代官所手代中尾某の男文助(のちの則久)を養子にしています(参考)。
新本義民騒動時の安田家当主は初代一学(久茂)、古松軒と同世代の当主は方久となるようです。

墓地は二箇所に分かれていますが、**院○○日▽居士、※※院◎◎日△大姉という夫婦墓に注目して年代順に並べて行くと、重複する墓碑があることが判り、本家分家二家あるようです。藤馬は方久か久道の兄弟になると思います。

藤馬  ――七郎左衛門久簡――+――幹雄久成――壮太郎  ――+――耕太郎
文化10  安政6      |        明治18   |  明治20
室     室        |  室水川氏  室      |
               |               +==覚造   ――+==収二   ――+――幸彦
               +――賎男              笠原氏    |  河原氏    |  平成19
                  徳田家嗣            昭和10   |  昭和54   |
                                  室三宅氏   |  室覚造長女  +――女
                                         |         |  永原**妻
                                         +――女      |
                                         |         +――*
                                         +――女

藤馬及び幹雄夫婦の享年、幹雄の歿年が記されていませんが、久簡夫婦、壮太郎の歿年享年から上記のように組み立てました。
壮太郎は明治十八年に二十四才(1885-24=1861)で早世していて、妻の墓がありません。それから、
「知*童子 明治二十年 四才 安田壮太郎長男安田耕太郎(1887-4=1883)」
という墓碑があり、覚造(昭和十年歿四十九才 1935-49=1886)の墓誌に
「襲耕太郎之後」
とありますので、上記のようになると思います。
収二は津山市二宮河原嘉太四次男です。

室家墓地にある波多野直香夫婦の墓誌に、

「備前池田藩長臣波多野左仲景充の次子小兵衛直香は同藩大野紋左衛門某の義子となり、後に堀小左衛門と名乗ります。岡田侯の太夫(家老)安田一学久則の次女元子を娶って、二男一女をもうけます。男子二人は早世し、女子仲子が直道の妻となりました。後に大野家を退いて安田家に寄寓、文化二年に五十九才で病歿して下道郡箭田村の慈源寺に葬られました(**院心入日*居士)。妻は安田一学久則次女、天保十一年**院妙了日*大姉」

と記されています。二ヶ所の墓地を丁寧に廻りましたが該当する墓がありません。古い墓地の東にある草むらを目を凝らして見て行くと、堀小左衛門と刻まれた墓碑が見つかりました。


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