入江家
賀陽郡日羽村
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善兵衛・・――三次郎・・――・・・宗晴――文五郎忠明――善四郎忠恒――+――栄五郎忠盛 享保13 寛保2 明和3 文化12 天保14 | 天保8 室 室塩尻氏 室犬飼氏 | 室吉田氏 | +――理遠 | 天保8 | +――善四郎義忠――+――量平 ――+ 秋庭氏 | 明治28 | 明治6 | 室目黒氏 | 室忠恒次女 | 室目黒氏 | 室脇本氏 | 室辻氏 | | | +――他一男一女 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――亀 | 原田良蔵妻 | +――帰一郎 ==範夫 | 昭和21 的場氏 | 室入江氏 平成6 | +――男
文五郎忠明(倫貞とも)より前は、墓碑の並び方と善兵衛夫婦及び文五郎忠明の生存年代比較からつないでみました。忠明妻千代は中嶋塩尻紋八娘です。
善四郎忠恒の墓誌によると、家は日羽村里正を勤めていたので、忠恒もその職を継ぎ、三十余年勤めました。苗字帯刀を許されたとのことです。妻中は都宇郡高須賀村犬飼義行と母田淵氏の娘で、寛政元年に生まれ、忠恒に嫁いで一男三女をもうけています。男子栄五郎忠盛と長女、季女が早世したので、次女豊が窪屋郡浅原村秋庭五一兵衛重命二男寛左衛門を婿に迎えて跡を継いでいます。栄五郎忠盛は二十五才で亡くなり、その妻と記されている吉田氏と子に該当するの墓碑は見当たりません。
寛左衛門は十八才で入江家に入り、後に善四郎義忠と改名して三十一年に亘り里正を勤めています。家付き娘豊が早世し、都宇郡惣爪村脇本万蔵季女小高を後妻に迎えて二男一女をもうけています。長男が跡を継いだ量平です。
量平は窪屋郡生坂村目黒徹太篤敬の三女久良を妻に迎えますが久良が二十五才で亡くなったので、その姉敏江を後妻にしています。亀と帰一郎の母は久良です。
明治三年の窪屋郡生坂村宗門帳に、
一、徹太 印 歳四十五 里正子位庄村吉田名主
妻 印 同三十九 (二一〇四)
子壽太郎 印 同十七
娘としへ 印 同二十
娘しん 印 同十五 名変りてるの
合五人内男弐人女三人 印(東雲院)印(貞基) 牛壱疋印 七月朔日相求申候
と記載されています。「娘としへ」は量平後妻敏江に一致しますが、十三才であるはずの久良が記載されていません。もしかしたら既に入江家の養女になっていたのかも知れません。量平と久良は二従兄妹の関係になります。久良も敏江もそれぞれ二十五才、三十五才という若さで亡くなり、旧松山藩辻尚三長女金が三妻として入っています。
帰一郎妻仲は同じ株家の右一郎長女です。
文右衛門――+――右一郎 ――+――・ ――勲 大月氏 | 昭和16 | 平成14 大正1 | 室 | 室田中氏 | | | +――仲 | 入江帰一郎妻 | +――玉之助 ――豊太郎 昭和20 安太郎跡嗣 室入江氏
喜太郎の碑文によると、安永元年に分家していることが判りました。
喜太郎 ――定吉信忠――+==寅蔵忠房 文政3 嘉永4 | 中嶋氏 室難波氏 室大月氏 | 文政5 室小野氏 | 室信忠長女 | +==毎吉正忠 ――定吉 ――+――安太郎 ==豊太郎 ――亮義 平松氏 明治31 | 大正8 入江氏 平成10 明治19 室 | 室赤木氏 室小川氏 室信忠長女 | +――房野 入江玉之助妻
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