岸家
赤坂郡小倉村
総社市美袋の田邉家とつながっている建部の岸家と、大村家の系図に出てくる建部町小倉の岸家が同じ家ではないかと思って気にかけていました。平成12年になって、大村様から、「昔、近所に岸さんという方が居られて、家族共々のお付き合いでした」というのをお聞きし、田邉家調査の頃に関係者から聞いていた話と付合することが多いので、あらためて岸家のご子孫の方に確認したところ、一致することが解りました。こういう具合に、切れた糸同士が上手くつながるとたいへん嬉しいものです。
半四郎――幸右衛門――武平 ――+==定四郎直方 安永7 室平尾氏 寛政3 | 室花房氏 +――藤三郎――槌治郎 ――林治郎――啓太郎 ――徳治 嘉永5 明治14 大正7 昭和12 昭和39 猶原氏
藤三郎の墓碑には「義子岸大祐建之」とあります。
墓地には那須姓の墓碑がかなり建っていて、林次郎の子健次郎が那須家を嗣いだようです。
武平が亡くなったときに、その子藤三郎がまだ幼かったので、その姉に定四郎という養子を迎えたのだろうと思います。大村家の系図には、油屋4代清兵衛盛巌の実弟定四郎(共に油屋2代浅右衛門盛勝の娘が近藤利胤に嫁いで儲けた子)が、赤坂郡小倉村岸武平娘の婿養子となり、その後妻は鹿瀬村江田氏とあります。岸家の墓地を訪ねると、その人の諱が「直方」であったことが判りました。
定四郎直方――+――女 大村盛直妻 近藤氏 | 嘉永7 +――徳四郎 ――+――女 佐藤孫三郎妻 室家女 | 明治11 | 室江田氏 | 室益原氏 +――女 猶原元右衛門妻 | | | +――定四郎 ――元造 | 大正4 室大瀧氏 | 室景山氏 | +――理三郎 ――源四郎 ――伝二郎 ――+――定一 ――+――女 桑島家へ嫁 室松村氏 室伊丹氏 室伊丹氏 | 室田邉氏 | | +――博之 | +――亨 ――
理三郎のあとが、小倉から建部新町に移住して大村家と親しく付き合いがあったようです。伝二郎は養蚕教師をしていて、この方面ではけっこう有名な人だったそうです。苫田郡加茂町知和の庄屋内田饒穂(にぎほ)が長野県で養蚕を勉強し、帰郷して養蚕の普及に努めています。この岸家も代々庄屋を勤めた家で、理三郎も名主を勤めたという記録もあり、当時の庄屋クラスが地域産業の先導をも努めていたということがよく解ります。
平成13年5月、妹尾家のご子孫の紹介でお会いしたI様より、新たな情報を得ました。
伯耆尾高城主 山名氏重――+――山名伯耆守守重(尾高城主) | +――岸備前守氏秀(竜王山城主) ――+――與惣左衛門秀重 | | +――左馬之進氏勝(鶴田高城にて戦死) +――左衛門次郎秀守 | | +――修理之進氏為 +――弥三郎秀光 | +――女 | +――女 | +――六内秀次
竜王山は久米南町下籾(しももみ)にあり、近くに岸氏の宝篋印塔があります。
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