俣野家
賀陽郡撫川村





高松城の水攻めの時に足守川の堤防を築いた功績があり、江戸時代は賀陽郡撫川村(岡山市)庄屋を勤めた家だそうです。
墓碑は整理されているのか古い時代のものがなく、

○ 源八安政6年 ○○院宗理日善信士 室○○院妙善日徳信女
○ 久坪忠蘭 嘉永5年○○院常照日観 室嘉永5年○○院妙真日啓
○ 源次郎明治十二年○○院宗善日是信士 室明治六年○○院妙浄日法信女

などが読みとれただけです。
源次郎夫婦の墓碑には「蟲明陽庵(庭瀬藩医)建」とあり、源次郎かその妻のいずれかが虫明氏であると思われます。江口清方妻と兄弟姉妹になるようです。

源八――+――久坪忠蘭  ――源次郎 ――芳太郎 ――高一
安政6 |  嘉永5     明治12  明治42  昭和35
    |
    +――野婦
       守屋卓爾妻?

倉敷市三田の庄屋守屋家に、
「卓爾妻、俣野助五郎娘、明治20年歿年72」
という墓碑がありますが、助五郎と彫られた墓碑は見あたりませんでした。ただ、墓を案内して下さった株家の人が、「うちは助五郎の従弟が分家したと聞いています」と云われました。

勝右衛門――善左衛門――弥五右衛門――藤十郎 ――善次  ――
寛政7   弘化4   天保10   室藤原氏  明治36

本家の家紋は後代に替えられたようです。


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