小橋家
和気郡香登本村
桓武平氏の流れと云い、宇喜多家に属して関ヶ原の戦に臨み、敗戦後に備前香登(かがと)本村に帰農しています。江戸時代は庄屋、大庄屋など村役人を勤めていました。
1代、源太郎宗忠
2代、源次郎宗信
3代、市兵衛宗興
4代、七兵衛、元禄13(1700)
5代、平兵衛、寛保2(1742)享年71
6代、平兵衛、宝暦8(1758)
7代、平兵衛、安永4(1775)
8代、平兵衛、天明6(1786)
9代、市兵衛順信、寛政3(1791)
6〜7代の平兵衛の中には兄歿後に家督相続した準養子の代があると思われます。
9代順信には子がなく津高郡建部村の松崎十因齋の第8子を養嗣子として迎えています。和登は大庄屋、在方下役人を勤めています。
市兵衛順信==得三郎和登――+――市兵衛信敬――+――市蔵信咸 寛政3 松崎氏 | 天明8 | 文政3 室石原氏 寛政1 | 室田淵氏 | 室松原氏 室順信季女 | | +――恒兵衛正篤 +――豫齋信通 | 冒姓伊賀 天保7 | 室葛巻氏 +――女 | 松原公禄妻 | +――察通 | 倉地明正妻 | +――正 三倉田家嗣
信咸は画家として有名で、清爽な山水画をよくし、雅趣のある墨梅、墨竹を多く描いています。
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