国富家
都宇郡早島村


源右衛門――忠右衛門――源順――順庵――九郎祐 ――小八郎 ――藤九郎 ――弁之助――万蔵  ――鹿之助 ――+
                    享保9   安永7   文化7   文政6  天保10  明治9   |
                    室間野氏  室武槍氏  室片岡氏  室田中氏 室寺山氏  室武槍氏  |
                                                       |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――竹次郎 ――小八郎 ――運栄
   大正13  昭和11  昭和47
   室武槍氏  室堀井氏  室岡氏

源右衛門は天正4年、宇喜多家が毛利家と争った八浜合戦で「八浜の七本槍」と云われた武将の1人です。
戸川肥後守逵安は、その前年の宇喜多家家中騒動で徳川家康に預けられていたため、関ヶ原の戦いでは徳川方に味方し、その戦功によって庭瀬に2万9千石余を拝領しました。
源右衛門は関ヶ原の合戦では宇喜多家と共に働き、敗軍の将となりましたが、児島常山城青木丸では戸川逵安が源右衛門の直接の上司だったために、逵安に鉄砲足軽20人扶持、550石給の武将に取り立てられました。源右衛門から4代に渡って鳥羽村(倉敷市中庄)に住みました。
寛文3年頃に早島村久々原の干拓が完成し、宝永6年に九郎祐は久々原へ移住します。九郎祐の妻「おいち」は生坂間野氏娘とあり、宝暦10年に92歳で亡くなっているようです。
ご子孫のもとに手紙で問い合わせてところ、「真光妙善信女」の戒名と、出所は生坂の間野五三兵衛の家であるということ、更に、生坂の間野という家は、高松城の水攻めの際に秀吉に日傘を献上したと聞いているという興味深いお話をお聞きすることが出来ました。宝暦10年に92歳で亡くなっていることから、清水家の先祖源太兵衛貞秋、間野家の九郎右衛門氏明らと同世代の人になると思います。


ホームページへ