大西家・津国屋
阿賀郡新見村
平成二十一年の六月頃からずっと一枚の系図にこだわって歩き回りました。川上様という方が「ごさんべえ」ホームページを見つけられて便りをしてこられました。我が家に伝わる系図の真偽を確認したいというものでしたが、調査を進めるにつれて、私の家とも関係のある縁戚がいくつもその家系図につながることを知りました。それから暫く、その系図に出てくる諸家の消息を訪ね歩きました。
ある日、林という家についての検証のため、新見の町を訪れました。電話帳と地図で下調べしたところに行くと、そこはもう更地にされていました。呆然と立っていると、隣の家の人から声をかけられました。事情を話すと、その向こうの人が歴史に詳しいから行ってみなさいとのこと、訪ねて行くと閉まっていて不在でした。また途方に暮れて戻るところを、また先ほどの人に捕まりました。今度は、同級生の歴史好きがいる、そこは旧家でもあるので何か史料が遺っているでしょうと、先導して下さいました。ところが、そこも留守です。二人して立ち尽くしているところへ、その同級生という人が帰ってこられました。
その方は私の話をすぐに理解されて、家の中に案内して下さいました。大きな土蔵を改装した美術館のような建物です。応接間の隣の間にはおおかた百年以上にはなると思われる什器類がびっしり並んでいます。壁には表装した古文書や屋敷図が額に入れて飾ってあります。
「うちは江戸時代、造酒屋や鉄問屋をしていました、これは山田方谷からの手紙です」
戴いた名刺を見て思いつくことがありました。
「お宅は酒津の梶谷さんと親戚関係ではないですか?」
「いえ、聞いたことがありませんが・・・」
「お宅には平右衛門、貞一というご先祖がおられませんか?」
「・・・?」
ちょうどそこへ奥様が上がってこられて、
「平右衛門さんのお墓はあります」
「私のひいひいお祖母さんが梶谷から嫁いで来ています。その兄さん(梶谷家当主)の妻がお宅から来られているようですよ」
「あれあれ、遠縁になるわけですね!」
ということで、いっぺんに長年の知り合いのように話が弾みだしました。それからたくさんの史料を拝見、町中に住む歴史家や関係のありそうな家、お寺を片っ端から連れ廻って下さいました。
井澤
吉右衛門貞昌――弥之助貞房――八兵衛貞勝――+――又三郎貞供
延宝3 元禄16 享保13 | 享保3
室 室 室 |
| 大西
+==文四良貞幸――傳次良貞康――吉之助貞栄――+――六良右衛門貞寛――+
河原氏 天明2 寛政11 | 天保14 |
元文3 室岡本氏 室大西氏 | 室 |
室 | 室馬屋原氏 |
| |
+――仁右衛門貞雄 |
分家 |
|
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+
|
+==平右衛門貞一 ――+――政野
貞雄男 | 村澤篤孝妻
明治3 |
室松喜氏 +――傳次郎貞正
| 久貞跡嗣
|
+――吉之助貞敬
| 明治33
| 室田邊氏
| 室松室氏
|
+――男
|
|
+――彌之助貞利
| 山本家嗣
|
+――文四郎貞憲――+――虎太郎貞寛==章
| 明治40 | 大正13 山本氏
| 室木下氏 | 室 平成9
| | 室杉氏
+――琴美 +――廩蔵
| 梶谷正幸妻 山本家嗣
|
+――みを
松室仁市妻
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仁右衛門貞雄――+――新五右衛門久貞==傳次郎貞正
天保9 | 安政6 貞一長男
室 | 室 明治25
| 室藤井氏
+――平右衛門
貞寛跡嗣
前述の林家の消息(墓地)が判るまでには少し時間がかかりましたが、ご子孫は私の住んでいるところの近くに居られました。
系図をたどって動いていると、出来上がったドラマの中で動かされているような錯覚に陥ります。
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