坂井家
賀陽郡庭瀬村





坂井家は庭瀬藩主板倉重矩の母方林家から出た家で「七曜の星」が定紋です。

林佐渡守―――+――源右衛門――――+――久兵衛 安芸国浅野家徒士
通勝     |  織田信雄家臣  |
織田信長家老 |          +――吉治――――吉隆――――――隆昌――――昌全
       +――重右衛門    |  坂井長四郎 林新平     治部右衛門 又八郎
       |          |  後弥右衛門 後坂井弥右衛門
       +――源右衛門    |        元禄13
       |  紀州家徒士   |
       |          +――孫兵衛
       +――数馬      |
       |  水戸黄門徒士  +――笹之助
       |          |  原田姓 伊達遠江守家臣
       |          |
       |          +――吉次
       |             村雨姓 板倉甲斐守家臣
       |
       +――女 板倉内膳正重昌妻
       |
       +――女 坂井新右衛門妻

林佐渡守は織田家の家老でしたが、天正8年8月に信長に追放されています。
元禄12年に板倉家が庭瀬に入府したときに従ってきた家臣の中に坂井弥右衛門吉隆の名があり、同16年の板倉家侍帳御家中願書に
150石、坂井治部右衛門、元禄13年持筒頭格
という記録があります。吉隆、隆昌、昌全と続いて跡が絶え、そのあとを幕末になって通之が再興しました。
おそらく、藩主板倉家にとってだいじな家だったので、家中相談の上、再興されたのでしょうが、血脈は続いていないようです。庭瀬藩主板倉家は備中松山藩主板倉家の分家筋で、重昌は九州島原の乱の鎮圧で討死しています。

林家は水軍として有名な伊予王越智河野氏の流れです。

越智後林改姓
七郎右衛門――+――通祐
通兼     |
       +――通村――+――通安――通勝――(上記系図に続く)
              |
              +――通忠――通政――+――市助長政
                         |
                         |  稲葉改姓
                         +――宗兵衛正三――正成――正勝

林家の祖は、七郎右衛門通兼という人が、美濃国清水城主となったのにはじまるそうです。瀬戸内海の水軍の一派がどのような理由で愛知県に行ったのかよくわかりません。ただ、倉敷の富商の中に、広島屋家というのがあり、これも越智河野氏流と称していますので、林姓のルーツはやはり瀬戸内にあって、通兼よりももっと古いのではないかと思っています。
上記のように稲葉氏も同族株家のようで、こちらは幕府の譜代大名として明治まで続いています。

坂井通之は庭瀬藩の老臣徳田又兵衛富潤(御用人席50俵)の次男として生まれています。

       難波婦美
         ∥
         +――――+――陟
         ∥    |
弥右衛門通職== 通之   +――謙治 森岡家嗣
安政4歿     ∥    |
       渡邉幾久   +――弥六
              |
              +――貞 内田弥八妻
              |
              +――起代子 岡西亀太郎妻
              |
              +――保夫
              |
              +――磊介  ――弥一
              |  室内藤氏  室阪本
              |
              +――静


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