高橋家
窪屋郡大島村





大島の間野家系図調査のために墓地を訪ねてみました。

惣右衛門――藤右衛門――+――慶太郎 間野家嗣
嘉永3   天保6   |
室姫井氏  室安原氏  +――最利治――+――喜多治――素一 ――豊
               明治19 |  大正4  昭和10 昭和57
               室窪津氏 |  室犬飼氏      室大橋氏
                    |
                    +――みの
                    |
                    +――真佐太郎

惣右衛門以前の系譜が不明です。この人は嘉永3年に84才で亡くなっているので明和3(1766)年頃の生まれになります。宝永5年の大島村百姓帳に出ている間野家の家族構成では、初代多左衛門の孫吉之丞が元禄12年(1699年)生まれですから、高橋惣右衛門は間野吉之丞の孫くらいの年代になります。

明治5年の宗門帳では次のような家族構成になっています。

 判頭
一 最利治    歳四十八
  妻      同四十七
 子喜多治    同二十
 子真佐太郎   同五
 娘みの     同十四
合 五人内 男三人
      女弐人
        牛壱疋

惣右衛門の妻は鴨方中山の姫井氏、中山には鴨山城主細川家に仕えた姫井家がありますので、その一族だろうと思います。
藤右衛門の妻は早島塩津の安原氏、最利治の妻は早沖の窪津荘之助長女、この窪津氏は子位庄の庄屋窪津家の分家筋かも知れません。最利治はモリジと読むのだろうと思いますが、清水家の先祖にも茂利治(モリジ)という人が最利治よりも少し前の時代にいるので、株家同士の交流がこの辺りまであったのかも知れませんし、そういう背景があって、一旦絶えた大島間野家が高橋家の人によって再興されたのだろうと思います。


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