姫井家
浅口郡鴨方村





姫井氏は村上源氏で、もともと東国の産で備中阿知(倉敷市)に定住したそうです。
姫井次郎三郎光久は、備中36氏の国人中の1つ姫井家第16世で、細川元通に仕えて武勇をふるいました。この人の記念碑が建てられていますが、その後方には戦国時代の五輪塔と思われる小さな墓碑が3つほど確認できます。なるほど古くからこの地方で勢力のあった家だと思われます。

重助綱利――縫殿助紀久――次郎三郎光久――与次郎光房――吉兵衛久嗣――平四郎綱房――+――助三郎光清――+
      天正9    天正19    万治2    元禄11   元文2    |  宝暦5    |
                                          |  室西澤氏   |
                                          |         |
                                          +――忠正     |
                                             宝暦10   |
                                                    |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――玄淑  ==修敬叔 ――+――省叔 ――+――亮叔 ――永叔  ――+――良夫  ――+――仁叔  ――+
|  文化10  山田氏   |  嘉永1  |  嘉永1  明治43  |  大正12  |  昭和58  |
|  室山田氏  寛政12  |       |             |        |        |
|        室平井氏  |       +――道叔         +==只次郎   +――友章    |
|        室三宅氏  |       |  明治6                          |
|        室守安氏  |       |                               |
|              |       +――恭淑                           |
|              +――女                                    |
|                 土屋家へ嫁                                |
+――女                                                   |
|  平井治兵衛妻                                              |
|                                                      |
+――玄岱                                                  |
                                                       |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――男

+――女
   守屋家へ

この家は、主家の細川氏が滅んだ後は、中山に居住して代々医業を行っていたようです。専門は整形外科ですが、助三郎光清は外科を専門としたそうです。玄淑の代から鴨方藩(備前領)の典医となり、特に敬叔は名医として知られたようです。玄淑の妻は浅口郡連島村(倉敷市)の山田五郎兵衛娘、母は大塚氏です。
修敬は浅口郡連島村(倉敷市)の山田近安と山田氏の間に生まれた子で、安永1年に玄淑の養子となって入家しています。
敬叔の最初の妻は六条院中村の平井治兵衛娘、この人は長男定(省叔)を生んで間もなく死去しています。後妻達は窪屋郡酒津村(倉敷市)の三宅藤十郎の娘(母は明石氏)ですが、この人も27才という若さで亡くなっています。3番目の妻蕙子(けいこ)は窪屋郡西郡村の守安甚蔵の娘(母は片岡氏)ですが、この人は敬叔に先立たれ、子女を育てる傍らで和歌を勉強し、幕末期の木下幸文門下歌人として有名になりました。1男1女を生みますが、男子は幼い頃に亡くなり、女子は後に備後市村の土屋家に嫁いだそうです。蕙子は弘化2年に81才という長命で亡くなっています。
省叔は幼時から西山拙齋について漢学を学び、詩書にも通じていたようです。鴨方藩の記録には大庄屋同格として名が記されているそうです。
亮叔は若くして亡くなり、弟の道叔が家業を継いで家政を取り仕切ったようです。

中山の本家墓地には玄岱の遺髪を埋めた記念碑が建っています。玄岱は延享3年に岡山城下に出て開業して名声高く、宝暦5年に藩の惣御医者となり5人扶持、宝暦7年には天瀬に屋敷を拝領して、切米45俵4人扶持、継政、宗政二代藩主の主治医を勤めています。

玄岱の嗣子善長も7人扶持で惣御医者となり、治政、斉政二代藩主の主治医を勤めています。
玄岱の次男桃源(元詰)は医者にならずに藩の儒官として仕え、古学、朱子学の他、天文学にも詳しかったといわれます。なお、宗家敬叔の碑文は桃源が記したものです。
栗谷は岡山藩士成田鉄之進次男で、3才の時に桃源の養子となっています。父同様に藩儒官として出仕し、慶政の信任が厚く、安政3年には新たに130石を賜っています。

玄岱 ――+――善長貞元――順郷安房――勤   ――清範
明和3  |  文化13  天保1   明治27  明治11
室中尾氏 |  室横田氏  室布施氏  室金子氏
     |
     +――桃源貞吉==栗谷元淳――鴨村師平
        文政1   成田氏   明治35
        室臼井氏  慶應3
              室馬場氏
              室齋藤氏

只次郎は邑久郡今城村向山の永山茂樹次男で、明治25年に第3高等中学校医学部(現在の岡山大学医学部)を卒業後、永叔の長女寿賀の婿養子となって入家、同38年に金光町大谷に姫井緑橙軒医院を開いて分家しています。

只次郎 ――+――淑
永山氏   |
室永叔娘  +――静子
      |  川手寿夫妻
      |
      +――淳  ――+――女
         室氏  |  岩倉家嫁
         室大村氏 |
              +――男
              |  室妹尾
              |
              +――女
              |  家へ
              |
              +――女
              |
              +――女

淳の妻千枝子は御津郡建部町下神目の菅実長女で、昭和14年に金光町議会議長在職中に急死しています。

さて、この姫井家墓地の周りには同姓の何軒かの家の墓地があり、家紋も共通しています。それらの中で、宗家の墓地に取り囲まれるような形で並んでいる墓地は上記玄淑と同世代に分かれた家ではないかと思います。

又三郎――良右衛門――市之丞 ==留次郎――延太郎 ――時夫
天明7  天保11  弘化4   亀川氏  昭和15  昭和23
           室仁科氏  大正1  室磯部氏  室延原氏
                 室家女  室福田

倉敷市大島の高橋家とつながっている姫井家はこの系ではないかと思いながら碑文をチャックしてみましたが、よく判りませんでした。


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