阿部家・下津井屋
窪屋郡倉敷村
倉敷村の新禄富商に挙げられる家です。
「**法林 元禄十三(1700)年 寛政十年 阿部成喜建
**妙林 享保十一年」
という供養塔があり、
「**院浄林 宝暦十一年 阿邊吉良兵衛成直
**院妙遵 明和三年」
「**浄信 明和元年
**妙長 天明五年」
という墓碑になります。歿年から見て、法林・妙林の夫婦が初代、間に一代とんで吉良兵衛成直となるように思います。
大島屋大島次郎右衛門(元禄十年歿五十九才)の姉妹が下津井屋阿部に嫁いだという記録がありますので、初代妻はこの人かも知れません。
成善の墓誌(森田節齋撰)に「初称吉左衛門後改與右衛門」とあり、吉左衛門がこの家の襲名のようです。成之もはじめ政七郎、後に吉左衛門と改めています。亀山右門、仁科白谷について学び、倉敷代官古橋新左衛門が郷校「明倫館」を創る時に協力しています。妻茂與は備前国邑久郡土師村の石原孝右衛門義岳三女です。
・ ――・ ――+――吉良兵衛成直――+――與右衛門成善――+――成基 元禄13 | 宝暦11 | 寛政10 | 夭 室大島氏 | 室小山氏 | 室内藤氏 | | | +――吉左衛門成之==寿太郎冨則――+ +――嘉平 +――女 | 天保11 | 寛政7 大原金基妻 | 室石原氏 元治1 | | 室成之長女 | +――成章 | | 分家後嗣家 | | | +――女 | ・・家嫁 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +==国五郎 ――+――女 中塚氏 | ・・家嫁 大正9 | 室大熊氏 +――男 室小山氏 | 夭 室林氏 | +――謙二 | 昭和58 | 室 | +――譲吉 | 夭 | +――文子 | 小野氏妻 | +――栢三 | | +――達郎 | 夭 | +――泰子 鞍掛氏妻
「阿部成章夫婦墓 元治元年十二月十八日」
「**院英俊日* 元治元年十二月十八日 阿部寿太郎冨則」
という墓碑が建っています。成章、冨則の二人は浪士に襲われて斬り殺され、首を前神橋の下に投げられています。大橋敬之助が倉敷からいなくなった日と一致するので、前々からの恨みを晴らして逃げたのだろうといわれています。
その年の十月、下津井屋、浜田屋(小山氏)が米を買い占め、抜け売りしているとの訴えがありました。前月に訴えが出たときには会所の月番務めに無視されていましたが、十月の月番敬之助は受理しました。
下津井屋は代官所で尋問され、代官大竹左馬太郎により処罰されました。
ところが、十一月十五日に代官が大竹から桜井久之助に交代し、桜井は着任早々に下津井屋を放免しました。
「東から桜の花が飛んできて小山の影に咲いた山吹」
桜井代官は下津井屋派に買収されていたのです。今後は敬之助が形勢不利となり急いで倉敷から出て行きました(浅尾騒動参照)。
和算家内藤真矩の門人に、「倉敷村、阿部定蔵成敏」「倉敷村、阿部寿太郎冨則」とあります。
国五郎は十四才(明治十四年)で冨則妻(政七郎長女)琴の養子となって阿部家を相続しています。算数が得意で、醸酒業を創め、一方で村会、町会議員も勤めています。後に鉱業に関心を持ち、「中備鉱業」「中備信託」の両社を興して社長となり、また神島銅鉱を採掘しています。第一次大戦がおきると「大阪亜鉛鉱業会社」を招致して精錬事業を完成させています。妻大熊氏との間に一女がありましたが後に離縁、後妻小山氏は一男をもうけて先歿、三妻林氏との間に四男二女をもうけました。謙二は経済学博士で、日本鉱業株式会社常務取締役、日本油脂株式会社を歴任しています。
吉左衛門成章――+==貞蔵成敏 元治1 | 室 | 安政3 | 室成章娘 | +――幸 | 萬延1 | +――律 千村豊妻
井原市井原町の千村家墓誌に、
「作五郎妻律窪屋郡倉敷村阿部吉左衛門之女也享年四十二明治十九年病歿(1886-42=1844)」
というものが見つかりました。
冨則妻となった政七郎長女琴が、大正二年病歿年八十(1913-80=1833)ですから、琴の妹か、従妹(成章の娘)の何れかになると思います。
貞蔵成敏妻は「成章女禮」となっていて、成章には他に
「**院妙遊信女 萬延元年 阿部成章二女幸」
という娘がいたことは判っています。
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