大森家
上道郡高島村中井
清和源氏、多田満仲の子孫といい、満仲の子頼親が大和守に任じられてから大和国で繁栄しています(大和源氏)。頼親の曾孫親弘は同国宇野に住んで「宇野氏」を称し、この5世孫下総大掾茂治が大森二郎と名乗ったことからこの大森氏が生まれています。この茂治4世盛治の兄に彦七盛長という人があり、この子孫一族を伊豫大森氏といって、この中の一派が備前国上道郡中井村を中心に栄えました。備中松山藩主水谷家の命で玉島新田の開発の陣頭指揮を執った大森治郎兵衛元直も同族になります。
源 大森 満仲――頼親――頼房――頼治――親弘――親治――義治――茂治――+――治員――+――行治――+ | | | +――頼行 +――康治 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――彦七盛長 | +――盛治――+――頼続 | +――頼明 | +――頼直 | +――頼宗
中井村に定住した初代宗武(寛文九=1669年歿)の父藤左衛門は宇喜多秀家に祐筆役五百石給で仕えていました。
中井村に帰農して以後は代々名主を勤め、九郎兵衛、庄介と続いて、佐六郎は大庄屋を拝命しています。それより大庄屋職を継承し、彦五郎卓友、同保教、藤左衛門保救(享和三年中井村里正、文政七年上道郡大里正)、増次郎保定と続きます。このように、ひじょうに栄えた家のようですが、増次郎の曾孫が広島県沼隈郡鞆町の桑田家の養子となったのを最後に絶家となったようです。増次郎の娘二人は窪屋郡倉敷村の中島屋大橋家の分家に嫁いでいます。
頼宗――宗光――長門守光清――藤左衛門光時――喜代三宗武――九郎兵衛頼重――庄介重友――+ 寛文9 元禄8 延享1 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――佐六郎光都――+――彦五郎卓友――彦五郎保教――+――藤左衛門保救――+――増次郎保定――+ | 安永3 | 文化5 文政6 | 弘化3 | 慶應4 | | 室光田氏 | 室露無氏 室河合氏 | 室武田氏 | 室平井氏 | | | | | | +――宇之介 +――庄介福秀 +――保宣 +――彦九郎保興 | 分家 分家 | 分家 | | | +――保爾 | 尚秀嗣 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――藤次郎保祐 ――始太郎祐信――富五郎 | 明治26 昭和8 桑田家養子 | 室三宅氏 | +――信一郎保固 | 井上家嗣 | +――熊 | 大橋重正妻 | +――登茂 | 大橋惟亮妻 | +――永 平井卓衛妻
宇之介から後は
宇之介――+――重吉 ――+――卯平 ――+――重之治 ――+――平十郎 ――+――万壽太 寛政5 | 天保4 | 明治11 | 明治41 | 昭和2 | 昭和51 室 | 室 | 室 | 室 | 室 | 室服部氏 | | | | | +――太兵衛 +――國蔵 | +――祐七 +――清 文政4 萬延1 | 明治36 國蔵家嗣 | +――卯三郎正次――碪 ――恭 ==隆久 明治26 昭和23 昭和39 服部氏 室人見氏 室服部氏 室服部氏 室赤枝氏 室
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