野崎家
賀陽郡庭瀬村
野崎家は伊豫国河野氏の支族です。
芸州竹原から、元弘の頃に播州赤松谷の「野崎」に住んでその地名を姓にしました。
数代後、宇喜多直家が播州三木城(城主別所長治)合戦の時、助三郎種則はその家臣となりました。
関ヶ原の陣で敗軍となって岡山の福島に隠棲しましたが、戸川逵安が庭瀬に所領を受けたので、旧故を頼って庭瀬に居を定めました。江戸時代は代々醤油醸造を営み、庄屋を勤めました。
助三郎種則――四郎兵衛――+――助三郎貞則――太平次順毀==某 ――+==金十郎通定――+――太平治通英 ――+ 寛永2 元禄13 | 寛保2 寛保2 室順毀嫡女 | 某氏 | 寛政3 | 室 室 | 室 室 | 安永2 | 室富田氏 | | 室 室 | 室家女 | 室佐藤氏 | | 室 | | 室須賀井氏 | | +――助三郎通之 | | +――平次郎順* | 明和1 +――宇多 | 延享2 | 天明6 | +――愈喜 | 安永5 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――助三郎敬尊――+――助三郎通種――+――加禰 | 明治2 | 明治15 | 吉岡惣太郎妻 | 室 | 室斎藤氏 | | | 室安富氏 +――広太 ――誠一 +――太平治通忠 | | 昭和16 昭和26 嘉永4 +――律奈 | 室三宅氏 室落合氏 | 原田直道妻 | 室河井氏 | | 妾 +――與志 | | 中西政愛妻 +――亀四郎 | 益崎家嗣 +――他三女
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広太(幻庵)は安政六年生まれ、二十才で平野村戸長に就任しますが、或歳に悪疫が流行して村民が相次いで死亡するので正規の手続きを怠って埋葬しました。その責任を問われて戸長職を辞しています。
慶應義塾を卒業後、福沢諭吉の世話で三井家の益田孝のもとで働きました。益田孝の片腕として事業界で頭角を現し、三越株式会社重役、中外商業新報(今の日本経済新聞)社長に推されました。その頃、早稲田を出た原澄治が記者として入社してきたのが縁で、大正二年に坂本金弥から中国民報(山陽新聞の前身)の経営も任され、大原孫三郎の代役として新聞界に活躍しました。
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