白神家
窪屋郡安江村
鴨井家所蔵系図によると、
某1 ==某2 ――仙蔵 ――+―― 高見氏 室山崎氏 | 室某1娘 | +――仙次郎 鴨井家嗣
某2は二万村高見帯刀次男、仙蔵室は成羽村山崎覚之進娘母は黒阪緒方四郎兵衛娘、鴨井家を継いだ仙次郎は「唯真義定墓 萬延元年十月二十六日 勘九郎正親 実窪屋郡安江村白神仙蔵子七十五才(1860-75=1785)」となっています。
下記の林蔵が、文久二年歿六十二才(1862-62=1800)となっていますので、同じ家との縁組みをしていることを併せて考えると、林蔵と仙次郎は従兄弟か兄弟か、ほぼ同世代のかなり近い親族ではないかと考えられます。
林蔵 ――石蔵 ――元八 ――+==武一 ――+――羊一 文久2 明治22 昭和16 | 河田氏 | 昭和3 室佐々井氏 室原氏 室市坡氏 | 昭和21 | 室市坡氏 | 室元八長女 +――晴二 | 平成14 +――女 室森安氏 | 瀬良利忠太妻 | +――女 中原家嫁
林蔵妻コトは下道郡有井村佐々井忠五平娘、この一代前と思われる戒名だけの墓碑が建てられています。
「*霞良亭居士
*月智亭大姉」
という墓碑がありますので、これがもしかしたら仙蔵で上下の系図がつながるのかも知れません。
石蔵妻よしは福田新田原元治良娘となっています。福田新田大野家に入った後石原家を嗣いだ仁兵衛の実弟貝原治平の妻は元八の義母の妹ですから、この家は大野家も石原家もよく知っていたはずです。
福田新田石原家墓地のすぐ奥に接して原姓の墓碑があります。寄せられているので殆どの墓碑の碑文が読めませんが、原蔦次郎というのが読めました。宇野津川井家の文書に、
「福田新田 目代 原蔦次郎」
吉備津彦神社大灯籠に、
「児島郡福田古新田 原蔦次郎」
とあります。
新田墓には埋葬箇所選びに序列があるようですから、この原家には石原家の歴史を解明する何か重要な情報が隠されているかも知れません。
石原家の過去帳にある「石原文右衛門妹白神了善妻 泉應妙快信女」の墓碑が見つかるかも知れないと思い、墓地を訪ねて過去帳を見せていただきましたが、共に幕末より前のことは不明でした。
武一は都窪郡常磐村三輪河田多十郎次男、「郁文軒」と名乗っていますので、学問をしていた人のようです。
瀬良利忠太は金光町上竹、玉島八島嶋地の瀬良家はここから分家したと云われます。
中原家は船穂町水門、晴二妻喜代子は都窪郡吉備町東花尻森安金八四女です。
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