井手家
賀陽郡井手村





私より七代前の父系先祖勢伊の実家です。都市計画によって近所の寺境内にあった墓碑は移転されました。移転時に墓下を掘り起こした処、たいへん綺麗に装飾された骨壺が多数出土しました。
勢伊の父與右衛門は浅尾領の大庄屋として用水文書に名を連ねています。
家紋は井桁に手の文字を入れた独特のものですが、これは藩主から拝領した(押しつけられた)ものです。
極楽寺から與右衛門に宛てた永代居士証書がありますが、明治維新前後に逼塞して一時村を離れた時期もあり、詳しい先祖書は遺っていません。寺も廃寺となり、代々の位牌も処分され、與右衛門からの戒名を記した過去帳と数枚の位牌があるだけです。寛永十二年の銘が確認できる古いらんとう墓もありますので、何とかして系譜の復元をしたいと思います。

與右衛門――+――勢伊
安永5   |  間野貞義妻
渡邉氏  |
室     +――文五郎  ――+――女
         安永6    |  服部源蔵妻
         室守安氏   |
                +――和平宗信 ――+――女
                   天保14   |  河西正貞妻
                   室      |
                          +==和平尚綱――良右衛門  ――俊平  ――寛一  ――稔
                             川田氏   明治2     明治38  昭和21  昭和53
                             天保15  室       室守安氏  室井澤氏  室平田氏
                             室             室木村氏

勢伊の弟文五郎が跡を継ぎますが、三十八歳という若さで亡くなっています。三ヶ月程経てその妻も亡くなっています。文五郎の妻は窪屋郡西郡村の庄屋守安清助の娘です。與右衛門と文五郎夫婦の享年は、清水家に遺る過去帳にしか記録がありません。

和平宗信の墓碑には西田如竹という号が彫ってあり、その姉は同郡津寺村(岡山市津寺)の旗本榊原家の代官服部家に嫁いでいます。その人の墓碑のコピーも井手家墓地に建っています。この西田氏は都宇郡加茂村新庄上(岡山市新庄上)で庄屋を勤めていた家ですが、この家と服部家はこれよりずっと昔から重縁関係があるようです。


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