大森家・琥珀屋
浅口郡玉島村





先祖は伊予国の住人大森彦七盛長11代目の孫右京亮盛種になっています。この人が、備後国の浪人池上雅楽頭則家の娘を娶って生まれた子、与右衛門盛光が備中国賀陽郡八田部村に住んだそうです。盛光の妻は、高松城の水攻めで城主長左衛門宗治の姪(宗治と共に殉死した兄備後守の娘)です。盛光、政英と同村の庄屋を勤めていましたが、3代元直は土木事業が得意で、藩主水谷勝隆に起用されて普請奉行となり、浅口郡玉島新田236町の開発を担当しました。万治年中に新田庄屋となり、さらにその南部を埋め立て、寛文年中には町割り、港の整備をしました。また、同郡舟尾村(浅口郡船穂町)と長尾村(倉敷市玉島長尾)の取水堰と水路を整備して、水上交通の主役であった高瀬舟の通行の便を計りました。この高瀬通しはパナマ運河(1914年建設)と同じ構造になっていますが、その完成年代は古く、元直の高度な土木知識が窺えます。藩主の信任が厚かったことは、元直の嗣子元近の妻が、備中松山藩家老鶴見内蔵助の娘であることからも理解できます。元直は新田経営に専心するために、家政を妹婿九郎兵衛元央に任せました(後述)。

彦七・・・右京亮盛種――與右衛門盛光――助兵衛政英――+――次郎兵衛元直――與右衛門元近――+
盛長                         |  延宝1             |
     室池上氏   室清水氏    室板野氏   |  室高見氏    室鶴見氏    |
                           |                  |
                           +==九郎兵衛元央          |
                              松田玄蕃男           |
                              室政英娘            |
                                              |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――與右衛門元義――次郎兵衛元行――+――十治兵衛盛清――+――隼太元明
|  大坂町奉行   享保16    |          |
|    与力勤   室遠藤氏    |          +――八之丞嘉困
|                  |             文化12
|                  |
|                  +――次郎兵衛元知==元惟 ――甚五郎元寄――甚五郎晁孝――+
|                     出雲国へ    門司氏                |
|                             室家女                |
|                                                |
| +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+
| |
| +――甚五兵衛元国――元徳――隆成==重夫
|                    室家女

+――與左衛門保伯――與左衛門保実
|  津山藩出仕
|  後浪人して大坂天満移住

+――女
   ‖
   +――助左衛門宗昌――助兵衛元武 玉島大森家へ養子
   ‖
 池上助左衛門宗易

元近の子元義は大坂町奉行与力(西組)となっています。その曾孫隼太元明は玉島大森家の墓域に元直百回忌の追討記念碑を建てていますが、その子孫の消息は不明のようです。元明の叔父元知は出雲国に移っています。
元義の弟保伯は津山藩に仕えますが、のちに浪人して大坂天満に出ています。その子保実は酒井家や、堀田家に仕えて江戸で死去したようです。跡の系譜は不明です。
元近の娘は八田部村の池上家に嫁ぎ、その孫は玉島大森家の養子になっています。

家政を元直に任せられた妹婿九郎兵衛元央は、明暦年間に西田新田の開発にあたって早島村に移住したので、九郎兵衛の娘に迎えた平右衛門元清(岡山藩士平賀九郎右衛門男)が跡を継いでいます。元央は庭瀬戸川家に仕えた松田玄蕃の子で、元清の子清右衛門貞宗は松田氏を称し、浅口郡爪崎村(倉敷市玉島爪崎)に住んで、その地の庄屋を勤めています(分家)。

九郎兵衛元央――+――九郎兵衛
        |  中島戸川領庄屋
        |
        +==平右衛門元清 ――+――清右衛門貞宗
        |  延宝8      |  室堀氏
        |  室元央娘     |
        |           |
        +――女        +==助兵衛元武 ――+――傳右衛門元尭――+
        |  田辺半左衛門妻     池上氏     |  宝暦13    |
        |              延享4     |  室佐藤氏    |
        +――女           室元清娘    |          |
        |  十楚庄右衛門妻             +――男       |
        |                      |          |
        +――女                   +――女       |
           笹岡半七郎妻              |          |
                               +――女       |
                               |          |
                               +――女       |
                               |          |
                               +――女 伝助妻  |
                                          |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

|                        松田
+――此右衛門盛倫==八之丞嘉困==本次郎貞則――次郎兵衛盛久――+――虎太郎盛長
|  文化6     大森氏    松田氏    室佐藤氏    |  嘉永5
|          文化12   天保10           |
|                                +――甕盛家
|                                   
|                                   室長谷川氏

+――女
|  野田藤蔵妻

+――女
|  若林徳兵衛妻

+――女
|  馬越正矩妻

+――女
   惣左衛門妻

甕盛家は明治24年に児島郡小川村(倉敷市児島小川)で死去し、玉島一の名門大森家も絶えました。代々の墓碑は、爪崎庄屋松田家と共に玉島圓乗院本堂裏の大森家墓地に建っています。
この一族は、大森彦七の子孫と云うことから、上道郡中井村を中心に栄えた大森家ともとは同じだろうと思われます。


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