岡家・蔦屋
窪屋郡倉敷村
惣爪村太郎右衛門の子助右衛門が倉敷村に移住して酒や醤油の醸造、金融業などを始めたようです。家は現在の大原家の場所にありました。初代が2軒も分家を出しているところをみると、惣爪村でも相当な財力のあった家のように思います。
太郎右衛門――助右衛門――+――忠左衛門 寛永17 | 分家俵屋 | +――助右衛門――+――助右衛門――+――助右衛門 | | | +――惣左衛門 +――某 +――女 | 分家銭屋 伊予屋へ | 銭屋へ | | +――又左衛門 +――女 | 岡山金光家へ | 岡山沢屋へ | | +――与右衛門 +――女 | 伊予屋へ | 岡山富屋へ | | +――女 +――理兵衛 藤井家へ | +――弥三右衛門――+ | 享保9 | | 室井上氏 | | | +――女 | 高戸家へ | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――女 建部家へ | +――弥三右衛門敷健==久右衛門春徳==助右衛門英満==弥三右衛門誠――+――道之助成言 | 延享2 銭屋岡氏 大島氏 高戸氏 | 安政6 | 室高戸氏 宝暦11 寛政7 弘化3 | | 室吉田氏 室西山氏 室春徳娘 室坂口屋岡氏 +――きよ 銭屋翆竹妻後離別して三宅高翰妻 | 室小野氏 | +――女 建部家へ +――久之助 鳥越家へ | | +――丹次郎茂之 +――馬之助 三宅家へ 延享4 | +――菅之助 高戸家へ | +――藤之助
正徳元年の宗門帳では、
高44石6斗6升6合
与平治 24歳 日蓮宗本栄寺
女房 23歳 鴨方村善右衛門姉5年以前縁付
弟治郎吉 12歳
妹つ屋 17歳
妹ふき 8歳
父弥三右衛門 45歳
母 41歳
(以下略)
当主の与平治は弥三右衛門敷健のことで、妻は浅口郡鴨方村の奈良屋高戸家から来ています。叔母が同家へ嫁いでいるので、敷健夫婦は従兄妹結婚になっているのではないかと思います。高戸家から来た妻は、享保2年に29才で亡くなり、油屋吉田家から後妻が迎えられますが、この人も享保13年に32歳で亡くなっています。与平治には子がなく、その跡を弟の丹次郎(治郎吉)が嗣ぎますが、この人も無妻子で、分家の銭屋から跡継ぎが入っています。
春徳、英満、誠と養子が3代続いて、誠の跡を継いだ道之助のあとの系譜は不明です。この頃は古禄の名門岡家も相当衰退していたようです。春徳の妻は高沼村羽島屋から、英満は同村三好屋大島氏です。
なお、上記宗門帳の押印には「蔦屋」と彫ってあるようです。新禄古禄の争いの頃(寛政〜文政)には、蔦屋弥三右衛門の石高は33石、酒造株35石、借家61軒となっています。
9代弥三右衛門誠の長女は、銭屋熊之助翠竹に嫁いだ後離別、後に玉島米屋三宅家に再縁しています。
俵屋は本家の東にあったようです。幕末に絶家しています。
忠左衛門了玄――+――市太夫 分家大黒屋 寛文9 | 室大島氏 +――忠左衛門 | 延宝8 | +――女 牛尾家嫁 | +――吉兵衛 分家 | +――七太夫 | +――又五郎武紹――+――善作雲臥 享保4 | +――忠左衛門武処―――+――慎介 | 室小野氏 | | +――女 岡崎家嫁 +――女 小野次郎吉妻 | +――又五郎武敏――+――丈作武成 室横山氏 | 文化8 室田中氏 | 室岡崎氏 | +==才右衛門――+ 尚武 | 吉田氏 | 室武敏娘 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――俊蔵 | 文久2 | +――女 小野家嫁
正徳元年の宗門帳では、
高30石2斗3升6合
又三郎 51歳 日蓮宗本栄寺
女房 53歳 川入村与右衛門姉24年以前縁付
女子まき 6歳
兄七太夫 58歳
甥亀蔵 11歳
姪はる 17歳
(以下略)
3代武紹の長男善作は義倉設立の主唱者として倉敷の歴史に名を残しています。6代武敏の長男武成の娘里宇は同郡平田村の庄屋難波家に嫁いでいます。新禄古禄の争いの頃には、俵屋又五郎の石高は22石、酒造株25石となっています。
大黒屋の系譜は
市太夫玉摩――+――小十郎忠興==小十郎――+――郁蔵 | 室牛尾氏 小野氏 | | 室忠興娘 +――女 村田家嫁 | | +――女 小野田家嫁 +――女 中島家嫁 | +――女 那須家嫁 | +――女 小野家嫁
正徳元年の宗門帳では、
高21石4升6合3勺
小十郎 35歳 日蓮宗本栄寺
女房 35歳 当村平兵衛姉11年以前縁付
女子かず 7歳
弟小四郎 22歳
父玉摩 63歳
(以下略)
印鑑は「忠興」という諱が彫ってあるようです。
銭屋は蔦屋から元和5年に分家して向市場に住んでいたようです。
惣左衛門正成――+――弥三右衛門 分家向銭屋 寛文12 | 室小野氏 +――忠左衛門 分家貝屋 | +――女 原田家へ | +――助作 | 延宝6 | 室岡氏 | +――女 渡辺家へ | +――女 山口屋嫁 | +――七蔵正利――+――伝助富敷 ――+――熊之助以忠――+――惣左衛門全延――+ 享保12 | 室藤井氏 | 寛保2 | 文化8 | 室小野氏 | | 室大森氏 | 室大森氏 | +――女 鳥羽家嫁 | | | | +――茂三郎 +――文兵衛 | +――女 水澤家嫁 | 藤井家嗣 坂口屋嗣 | | | | +――女 阿曽沼家嫁 +――平右衛門 | | 分家坂口屋 | +――女 水澤家嫁 | | | +――久右衛門 | 蔦屋嗣 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +==義之助鳳毛==惣之助克綏――+――熊之助翠竹――+==享 ――哲二―― | 景山氏 岡氏 | 室岡氏 | 吉田氏 | 室全延娘 室景山氏 | 室富山氏 | 室翠竹娘 | | 室田中氏 | +――女 岡家嫁 | +――女 +――女 水澤家嫁 富山家嫁 | +――義之丞克諧―――――女 | 室岡氏 一宮家嫁 | +――女 吉田家嫁 | +――女 中原家嫁
正徳元年の宗門帳では、
高44石3斗2升7合5夕
助太夫 46歳 日蓮宗本栄寺
女房 34歳 沖村助左衛門娘18年以前縁付
男子伝助 23歳
女房 22歳 当村重野兵衛娘5年以前縁付
男子七五郎 5歳
女子つや 18歳
女子とめ 15歳
女子つ年 13歳
女子すへ 8歳
伝助男子熊之助 4歳
茂三郎 2歳
(以下略)
助太夫は3代の惣左衛門、すなわち七蔵正利のことですが、一家の印鑑は「正成」で親の初代の諱のようです。全延は鶴汀と号し、寛保2年に父、祖父母を相次いで喪い、弟延年と共に、坂口屋を興した叔父道矩に養われて成人しています。宝暦2年、17歳で年寄役に就任しています。彼は、詩文、和歌など文才に優れ、西山拙斎、菅茶山、頼春水らと親交がありました。頼山陽がはじめて倉敷を訪ねたときからその世話をし、鶴汀の死に際して、山陽は誌を作ってその死を悼んでいます。新禄古禄の争いの頃には、銭屋惣左衛門の石高は139石、酒造株7石、借家18軒となっています。現在の銭屋のご子孫は仙台に居られるようです。向銭屋の家系は次のようになります。
弥三右衛門公林――+――女 岡家嫁 元禄4 | 室吉田氏 +――助兵衛―――助兵衛 | 享保18 | +――流治道因 宝暦8――李長――安次郎 | 分家医師 天明1 天明8 | +――助左衛門 分家 | +――沢太夫
正徳元年の宗門帳では、
高7石8升3合
助兵衛 49歳 日蓮宗本栄寺
女房 49歳 当村太郎左衛門娘29年以前縁付
男子三助 26歳
女房 21歳 児島郡林村九兵衛娘4年以前縁付
孫岩之助 2歳
(以下略)
貝屋の系図は
忠左衛門――+――三野右衛門――+――忠左衛門――権太郎徳風――+――忠左衛門克巳 宝永2 | 享保12 | 宝暦12 寛政11 | 文政2 | | | | +――茂八郎 +――久兵衛――善次郎 | 文政10 +――孫惣
正徳元年の宗門帳では、
高3斗3升
三野右衛門 41歳 浄土宗誓願寺
女房 29歳 彦崎村源次郎娘7年以前縁付
男子忠次郎 6歳
権治郎 2歳
弟孫惣 19歳
(以下略)
初代忠左衛門は岡山の貝屋の跡継ぎとなりましたが、後に妻子を連れて倉敷に戻り、土手町で海産物問屋を営んだそうです。そういうわけで、他の岡氏と違う宗旨になったのではないかと思います。
坂口屋の系図は下記のようになります。新禄古禄の争いの頃には、坂口屋文兵衛の石高は3石となっています。
平右衛門道矩――+==文兵衛延年==平右衛門邦彦――+――惣之助 銭屋岡家へ 明和4 | 岡氏 富島氏 | 室三宅氏 | 文化8 天保7 +――女 蔦屋岡家へ 室浜田氏 | 室道矩娘 室銭屋岡氏 | 室堀氏 | 室福武氏 +――女 鳥羽久温妻 | 室福永氏 | | +――勇三郎克典――+――女 銭屋岡家へ +――益 | | 亀山家へ 室田中氏 +――桐三郎克昌――男 | | 室富山氏 +――岸 | | 藤井信厚妻 +――利佐 | | 藤井要雄妻 +――真 | 江田益英妻 +――女 堀家へ 離縁後 | 平岡家へ +――女 那須家へ
以上の他にも同村内に岡姓がいくつかあったようです。そのうち、蔦屋初代の4男が跡を継いだ伊予屋は、蔦屋初代の従兄弟が興した家と云われています。
新太郎――与右衛門――+――徳右衛門―――――+――新右衛門了忠==幸太郎 | | 半右衛門孫 +――女 俵屋岡家へ +――半右衛門 室了忠娘 | | +――女 和泉屋岡家へ +――多次郎 | | +――与右衛門 +――平七 | +――女 和気家嫁
茂兵衛――太郎左衛門――茂兵衛正重――寿右衛門直敞――+――小右衛門直敞――+――茂兵衛重起――+ 寛文7 正次 享保4 享保20 | 明和5 | 享和2 | 室藤井氏 元禄12 室藤井氏 室伊予屋岡氏 | 室大島氏 | 室入江氏 | 室仙石氏 | | | | +――仙助 | | | 寛政1 | | | 室富永氏 | | | | | +――女 菊池家へ | | | +――集右衛門――永八 ――貞助 | 分家 室下野氏 牧家嗣 | 宝暦13 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――小右衛門元寛 | 天明7 | +==寿右衛門長保――伊吉金充 内海氏 文政10 室重起娘
正徳元年の宗門帳では、
高35石2斗9升3合6夕
寿右衛門 44歳 日蓮宗本栄寺
男子小右衛門 22歳
安三郎 20歳
権四郎 17歳
女子はつ 16歳
いせ 13歳
いき 11歳
くめ 6歳
父茂兵衛 79歳
母 75歳
(中略)
姉里ん 57歳 当村善右衛門方へ40年以前縁付
同まん 50歳 当村甚左衛門方へ28年以前縁付
同るい 45歳 当村助三郎方へ27年以前縁付
新禄古禄の争いの頃には、和泉屋茂兵衛の石高は2升8合、酒造株30石、借家8軒となっています。
寛政4年当時の主は茂兵衛重起ですが、この姉妹が玉島阿賀崎の庄屋菊池家に嫁いでいます。茂兵衛はこの親戚関係を利用して、下問屋から法外な口銭をとって綿を玉島港へ集めていました。そこで、下問屋連中が怒って、玉島港に世話にならずとも、我々は倉敷から直接綿を積み出すといって特権問屋追放運動をはじめました。そういうことで、菊池も手を引き、代官も和泉屋の特権を取り消してしまいました。これは新禄古禄の争いの第2幕とされれています。
和泉屋はこの時期を最後にして逼塞し、屋敷は新禄の大坂屋林家に買収されました。
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