溝手家
都宇郡西田村





平成十一年の暮れ、倉敷市中庄から西田へ移住して庄屋を勤めていた木村家の調査をしました。
その時、木村家墓地の隣に古い墓碑群をみつけて碑文をいくつか読んでみました。
早島小浜の溝手家から西田村へ元禄十六年に分家した七右衛門吉峯の跡であることが判りました。

七右衛門吉峯――+――おつち
元文4     |  溝手権十郎妻
室太田氏    |
        +――七右衛門保高 ――+――定七高道   ――+――七右衛門政次――+――七兵衛政家――+
        |  宝暦12     |  寛政7      |  寛政11    |  文政9    |
        |  室高橋氏     |  室        |          |  室      |
        |           |  室佐分利氏    +――幸七郎久信   |  室      |
        +――善六郎      |  室        |          |         |
        |  分家       |           +――ぎん      +――おまつ    |
        |           +――善左衛門金信   |          |         |
        +――おきく      |  撫川分家     +――おむめ     +――利右衛門   |
        |  難波太左衛門妻  |           |          |  分家     |
        |           +――安左衛門     +――重郎      |         |
        +――いばく      |  分家       |          +――坂治郎    |
           永瀬治郎八妻   |           +――おふで     |         |
                    +――おはる         溝手條助妻   +――すえ     |
                    |  永瀬与平治妻                        |
                    |                                |
                    +――おすま                           |
                    |  高橋長太夫妻                        |
                    |                                |
                    +――おいと                           |
                    |  太田丹後守妻                        |
                    |                                |
                    +――おつね                           |
                       溝手理右衛門妻                       |
                                                     |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――直兵衛政信――+――七右衛門義光――近三  ――+――七太郎 ――+――夏治 分家
|  天保8    |  安政5     昭和3   |  昭和35  |
|  室      |  室高橋氏    室大橋氏  |  室小銭氏  +――理與
|         |                |        |  八木篤太郎妻
+――キサト    +――恒             +――寅次    |
|            坪井氏嫁             分家    +――熊子
+――藤吉                               |  白井正夫妻
|                                   |
+――キツ子                              |  分家
|                                   +――七五三尾
+――九七郎                              |
|                                   +――宗夫    ――男
+――青吉                               |  平成11    室南氏
|                                   |  室森氏
+――九兵衛                              |
                                    +――茂樹
                                    |  二場家嗣
                                    |
                                    +――寅江
                                    |  金光純夫妻
                                    |
                                    +――愛子
                                       杉原家嫁

初代の両親、初代、二代の墓碑は立派ですが、その後の墓碑は碑文が摩耗して読みにくくなっていますので、碑文から得られた情報で苦し紛れの系図を書いてネット上に掲示していましたら、ご子孫から連絡を戴き、事情を書いた返信をしたところ、後日、詳細な系図を送って頂きました。
その後も、ホームページに自分の家のことが書いてあるというメールを株家のご子孫から戴いて、一族の系譜に対する関心の深さが窺えました。

生計の基本は農業でしたが、五代から八代目は芝居の興行主も勤めていたようです。

初代吉峯妻は太田半右衛門妻とあり、早島の鶴崎神社を交代でまもってきた三軒の太田家の一つではないかと思います。太田近江内、太田丹後守源朝臣林澄など名の見える文書があるそうです。
定七高道の妻は、ミル、モト、フミと俗名は判っていますが、実家の姓が判るのは二番目の妻だけです。高道の弟善六は北隣に分家しています。この娘が新屋敷溝手権十郎吉久妻となっています。
政次の妻は、りよ、花と俗名は判っていますが、実家の姓は不明です。
政家の妻は、浅、友と俗名は判っていますが、実家の姓は不明です。政家の弟利右衛門は同村に分家しています。
義光妻は窪屋郡大島村(倉敷市大島)高橋氏です。もしかしたら間野家の株家になる高橋家かも知れません。
義光の姉妹恒は金田村(早島町早島)の坪井家に嫁いでいます
八代目近三の妻理止は中庄村黒崎字谷の大橋甚吉長女です。溝手商店としてたばこ、塩、酒などの専売品と雑貨を扱っていました。
七太郎の妻六は妹尾町字箕島の小銭伊右衛門長女、襄吉妹です。
夏治は溝手商店を継いで中帯江に分家しました。

寅次の子は、寛、素臣、美代子、進、智恵子とあります。

宗夫は戦中まで公務員、戦後は倉敷武徳殿の維持管理、第六七回国体の柔道監督、講道館師範六段、整骨師、向山に桃園、倉敷美術館前に喫茶「くら」土産物店「ロダン」など経営していました。宗夫の妻婦美子は笠岡市笠岡の砂糖問屋森米三郎と武免の四女です。
熊子は白井正夫(元医師会長)に嫁いでいます。
七五三尾は分家し、妹寅江の長女令子を養女にして、婿養子を迎えています。
茂樹は二場淑子の婿養子になっています。

分家

善六郎――+――理右衛門  ――條助  ――+――おてつ
延享3  |                |
室    |  室溝手氏    室溝手氏  +――利吉
     |          室若林氏  |
     +――おしゅん          +――紋次郎
     |  溝手権十郎妻
     |
     +――おみよ
     |  寛保1
     |
     +――吉兵衛
     |  早嶋村分家
     |
     +――市右衛門 ==又次郎
     |  西田村分家  善兵衛男
     |
     |  倉敷出店
     +――善兵衛  ――又次郎
        
        室板屋

早嶋村分家

吉兵衛 ――+――勝九郎   ――+――安太郎
      |          |
室佐藤氏  |  室溝手氏    +――おかつ
室永瀬氏  |  室溝手氏    |  住屋源七妻
      |          |
      +――新三郎     +――千蔵
      |  難波家嗣
      |
      +――おさめ
         某 周次郎妻

西田村分家

市右衛門――+――おきさ
      |
室永瀬氏  +――善蔵
室西崎氏  |
      +==又次郎
         善兵衛男
         
         室



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