大月家
下道郡久代村
大月家の先祖道易は備中松山藩医でしたが、その子朔元は藩領内久代村の庄屋渡辺氏を頼って久代村に移住して医業をはじめました。三代朔庵は同村の庄屋渡邉多左衛門綱嘉の次男で、京都で勉強して郷里に帰り、医者として人気をあげて家運を興しました。この人は八十七歳、その妻房は八十四歳まで長生きしています。
大月 道易 ――朔元 ==朔庵重共――+――貫卿 貞享1 延享9 渡邉氏 | 寛政9 寛政9 | 室加藤氏 +――義平太質卿 | 福田家嗣 | | 大渡 +――弘篤有隣 ――+――女 | 文化11 | 鳥越喜里妻 | 室渡邉氏 | | +――東作道耕 ――+――恭助綱次 ――喜太郎 +――靖庵 | 安政2 | 明治9 明治35 | 分家 | 室細川氏 | 室内田氏 室仲田氏 | | | 室片岡氏 +――女 +――倉右衛門 +――女 | 江木秀延妻 | 大津寄家嗣 渡邉好則妻 | | +――女 +――常蔵 | 吉田則孝妻 加藤家嗣 | +――女 亀山道本妻
朔庵の長男貫卿は父の実家の渡邉姓を名乗って分家、三男弘篤が家督を継いで本姓大月の「大」と渡邉の「渡」を併せて「大渡(大度)」姓を名乗っています。
弘篤の長男道耕華卿は伯父貫卿のあとを嗣いで渡邉を名乗ります。喜太郎の妻波満は、小田郡北田村の鳥越家に嫁いだ後に離縁となり、こちらに後妻に入ったようです。
弘篤の弟靖庵もたいへんな勉強家で浅口郡鴨方村の西山拙斎に朱子学を、京都の今枝栄顕に医学を学んでいます。
靖庵のあとは次のようになっています。省叔夫婦、直吉夫婦はともにいとこ同士のようです。
靖庵惟敬――省叔維慥――+――篤元綱幹==直吉 ==藤二郎 文政12 天保7 | 明治24 伊丹氏 中嶋氏 室江原氏 室福田氏 | 室伊丹氏 昭和8 昭和28 | 室篤元娘 室福田氏 | +――秀 冨山秀賢妻
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