安原家
浅口郡柏島村
成書にある系図(下)を参考に墓碑でたどってみます。初代助右衛門は都宇郡早島に居住し、その妻は山城紀伊指月、二代左衛門種輔が柏島に来住して赤沢・西両氏と氏神五社建立とあります。上写真左の法華塔に、
「観阿院柏翁浄春居士
指月院松室智雲大姉」
という法名が刻まれていますので、この墓域を祀る系統が本家と思われます。
助右衛門――左衛門種輔――+――六右衛門――(三代不明)――三右衛門――三右衛門――重右衛門――+――六郎右衛門 | | | +――十右衛門 | +――清左衛門――治兵衛==七郎左衛門――+――吉三郎――藤九郎 ――+――善兵衛 | | +――清太夫 +――藤七郎 | +――常八郎
七郎左衛門は治兵衛の姉の子で、寛文年中に赤崎(阿賀崎)村に住んでいます。六右衛門が明暦元年より宮地に住むとあります。七郎左衛門と六右衛門はつながりからは孫と祖父くらい世代が違うはずですが、ほぼ同世代のような記述がなされているのは疑問です。
続いて、清太夫は久々井(阿賀崎)に住み、藤九郎は本在柏島村に帰るとありますが、この辺りから墓誌で検証が出来るようになります。即ち、
「清原種長 安永元年十一月廿三日
台岳教詳墓 明和七年十一月五日
信士氏者安原吉三郎之子也昔時寛文十年水谷勝宗公依有開於新田干阿賀崎而祖父七郎左衛門移家出彼地而農事歴年三代藤九郎・・干阿賀崎干時寛延元年・・先祖塔廟 安原藤九郎種長」
これは七郎左衛門の孫藤九郎種長の墓で、祖父七郎左衛門は寛文十年に水谷勝宗公が阿賀崎新田を開いたときにそこへ移住して農業を始めたと記されていますので、ほぼ上記の系図と一致しています。
「梅室浄光禅定門 天和二年十二月六日 (裏)源心居士嫡安原治兵衛尉種晴塔宝暦十一年安原藤九郎種長建之
秀月恵林禅定尼」
という墓碑も確認出来、これもほぼ上記の系図に一致しています。
「清原」姓が繰り返し刻まれていて、諱の通字が「種」のようですから、天武天皇皇子の舎人親王を祖としている局務家清原氏の一族でしょうか。墓誌を整理してみると、次のような系図にまとまりそうです。
治兵衛==七郎左衛門――吉三郎――藤九郎種長――+――藤七郎種光――備前正種徳――・ ――藤九郎 天和2 安永1 | 享和3 文政10 明治4 室牧野氏 | 室安原氏 室 | +――常八 横溝家嗣
清太夫の後裔が玉島の安原氏でしょうか。
六右衛門の系統墓碑も同じ境内墓地、別区域に見つかりました。墓誌を整理して並べると下記のようになります。
*
六郎右衛門昌通――+――六郎右衛門金貞――多三郎金次――+――重右衛門金直――+――六郎右衛門金信 元文5 | 延享4 寛政2 | 文化6 | 安政6 室 | 室 室佐野氏 | 室赤澤氏 | 室原田氏 | | 室 | +――女 | +――十右衛門金郷 ==文三郎 ――+ 菊池小三郎妻 +――二男一女 | 天保9 本郷氏 | | 室宮氏 明治32 | | 室白神氏 | +――甚右衛門 | | 荒木家嗣 | | | +――女 | | 土師利直妻 | | | +――末子 | 白神世素妻 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――女 | 土師國太郎妻 | +――女 | 三島吉士妻 | +==佐太郎禎吉 ――+――愛助 | 三島氏 | 昭和17 | 明治23 | 室三宅氏 | 室文三郎三女 | 室三宅氏 | | | +――歌 | 三島吉符妻 | +――貞三郎 ――+――彰一 昭和31 | 昭和44 室友澤氏 | 室小野氏 | +――*
*
六郎右衛門金信――+――寿一金重――才三郎 ――+――太一郎 ――+――寿一 ――壮平 安政6 | 明治16 大正12 | 昭和7 | 昭和46 昭和51 室原田氏 | 室吉田氏 室板野氏 | 室清水氏 | 室 室 | | | +――幸五郎 | +――康夫 西尾家嗣 | 昭和23 | 室大村氏 | +――清次郎 ――忠巳 | 大正9 昭和20 | 室窪田氏 室藤井氏 | +――徳三郎 | 昭和19 | 室 | +――和吉 ――+――太郎 大正12 | 昭和52 室 | 室 | +――次郎 昭和5
*
ホームページへ