山崎家
久米北條郡奥山手村





宇多源氏、防州須々万城主伊豆守元隆の四代孫修理亮乙包が美作関の大井之庄に居住(永禄年中歿)。

孫修理亮乙包――+――甚四郎久次――小三郎国久――甚太郎宗久――甚右衛門常圓――+――
        |                       享保4     |
        +――孫之丞久常                室       +――
                                        |
                                        +――小三郎常永
                                           分家

久次、久常は中山手城の江原親次に仕え、その後、宇喜多黄門に従って朝鮮に遠征しています。
享保十三年、小三郎常永が奥山手村に分家。
延享四年に同村が小田原侯大久保氏の属村となり、当時有力土豪であったために大村長(大庄屋、代官)に取り立てられ士分待遇を受けます。大助常範(徳蔵秀實)は寛政八年に五十石の給与を貰っています。

小三郎常永――  常家==代助清常――+――二男
享保15         菱川氏   |
室                  +――孫次郎常秀
             室常家娘  |  寛政7
                   |  室櫻井
                   |
                   +――吟
                   |  片山武朝妻
                   |
                   +==佐左衛門常稔
                   |  河原
                   |  天明4
                   |  室清常娘
                   |
                   +――瀧
                   |  住友理兵衛妻
                   |
                   +――大助常範  ――+――孫太郎常茂――精三郎常久==民治郎常英――+
                   |  文化10    |  安政6    明治14   山崎氏    |
                   |  室岡田氏    |  室常稔孫娘  室美甘氏   昭和30   |
                   |  室藤氏     |                室大谷氏   |
                   |          +――他一男二女                |
                   |                                  |
                   +――他二男四女                           |
                                                      |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――義明   ――+――男
|  昭和40   |  室鷹取氏
|  室山府木氏  |
|         +――男
+――艶子     |  山府木家嗣
|  岡氏妻    |
|         +――女
+――鶴子     |  家へ
|  中條氏妻   |
|         +――女
+―― 一枝       永山家へ
|  水島氏妻

+――美作男
   分家

孫次郎常秀妻登美は作州貞永寺村櫻井孫左衛門政看と母岡氏の娘として享保十六年に生まれ、十三才で父を喪い叔父卯左衛門勝高に育てられました。十九才で山崎家に入り、夫が小田原候の年貢米管理に大阪の蔵屋敷勤務中には留守をよく守っていましたが、寛政元年に夫が病に冒され、その看病のために大坂へ向かいます。妻の看病の甲斐があって夫は回復に向かいますが、今度は登美が発病して治療の効果なくそのまま亡くなってしまいました(寛政二年正月)。


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