高橋家
児島郡天城村





平成元年六月の或る日、倉敷市史に掲載されている中島家墓地を訪ねて、清水家との旧縁を確認しようと思いました。
天城の町並みを歩いていると、あるご婦人に出逢いました。中島家墓地を捜していると話すと、これから墓参りに行く所ですが、うちの墓と中島家のお墓は近いのでご案内しましょうと親切に連れ立って下さいました。
墓地で、清水家との旧縁が確認できたと報告すると、お供えしてあげて下さいと、自分の持ってきていた線香やお米を分けて下さいました。ご婦人は高橋氏と刻まれたのお墓を掃除して帰られました。
それから十七年が経過し、そのようなことがあったことさえも記憶が薄れていました。
平成十八年七月、川井氏から戴いた手紙に、氏の祖父令作妹佐加枝(栄)が金光下竹の田中時二郎に嫁いだという記録があるが、この家は今でもあるでしょうかとのお尋ねがありました。調べてみると、下竹の庄屋家の縁戚に高橋家があり、田中家墓所をご案内いただきました。その折り、ご当主から、うちは天城高橋家の分家とお聞きして十七年前のことを思い出しました。
墓地を訪ねて碑文を丁寧に読んでみると、十七年前にお会いしたご婦人も確認できました。
また、相前後して川井氏から戴いた手紙に、栄の長姉久が嫁いだ倉敷市大江の三宅(児島)家のことも記されていましたので、こちらも並行して調べていました。
そこで、久が嫁いだ家の株家からご婦人の母千恵が出ていること、さらに千里の母が東三成浅野家から来ていることを改めて認識して驚きました。東三成浅野家の血筋は東江原の平井家につながり、その分流は矢掛中西、同所石井家、酒津梶谷家を経て清水家にも流れているからです。
「袖すり合うも先祖の縁」ということなのでしょうか。

覚右衛門――久太夫宗則――源七 ――源六 ==三郎兵衛――三郎兵衛頼影――+――徳三郎 ――常太郎  ――+
正徳3   延享4    寛政2  文政7  高田氏   嘉永5     |  萬延2   明治23   |
室     室      室    室    文政4   室       |  室高橋氏  室      |
                       室源六娘          |        室氏    |
                                     |               |
                                     +――吉三郎朝光        |
                                     |  嘉永2          |
                                     |               |
                                     +――新次郎          |
                                        嘉永1          |
                                                     |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――齢太
|  明治26

+==荘次郎 ――+――太郎
|        |  明治29
|  大正9   |
|  室     +――新次郎 ――+――澄江
|           昭和27  |  昭和62
+――愛        室三宅氏  |
   分家             +――女
                  |
                  +――源一
                  |  昭和40
                  |
                  +――常道
                     昭和53




下竹分家

常太郎 ――+――齢太
明治23  |  明治26
氏   |
      +==覚三郎  ――+――英雄
         田中氏    |  昭和23
         昭和16   |  室
         室常太郎娘  |
                +――剛
                |  田中家嗣
                |
                +――女
                   悲願院に嫁


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