福田家
浅口郡玉島村



太田家の調査を始めた頃、手掛かりを求めて倉敷市玉島の羽黒神社に上ってみました。偶々、宮司にお会いでき事情を話すと、それなら心当たりの人が居るから尋ねてあげましょうと、その場で電話までかけていただいて随分恐縮した思い出があります。
玉島の町を見下ろしながら、町の歴史についての解説もしていただきました。江戸時代の初期に干拓で出来た町ですが、あちこちの所領が入り交じっていたために住んでいる人々も色々問題を抱えていたこと、松山水谷家が積極的に干拓事業をやった時に、武士出身の者を多くここに定住させたこと、そういう訳で商人と云ってもたたき上げでないから幕末から明治維新の時代の変革について行けずに没落した家が多いことなどの話を今でも覚えています。その時に一緒に眺めた玉島の町はとても広く感じられました。



「私の家は水谷家に勧められて総社市久代からこの地に移住して大庄屋を勤めました」という宮司の話を裏付けるかと思われる立派な墓碑群を持つ福田姓の墓地が本覚寺裏、菊池家墓地と対峙するかのようにあります。本覚寺裏共同墓地には度々通って、この墓地を横目で見ていましたが、平成12年末に睦雄氏が92才で亡くなられたので、墓前に手を合わせに入ったついでに横に並べられた家歴を記した碑文を読んで驚きました。

傳左衛門定次――喜三右衛門定知――+――仙八定兼   ――弾正先次==郁彦安文――+――金市安麿  ――――+
享保10    宝暦12     |  享和1      室守屋氏  野山氏   |  昭和18      |
        室水川氏     |                 大正7   |  室鳥越氏      |
                 +――女                    |            |
                    真安伊右衛門妻              +――女         |
                                            姫井延太郎妻    |
                                                      |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――隆彦安隆
|  昭和50
|  室大守

+――睦雄
   平成12
   室鈴鹿氏

福田対馬守藤原朝臣武倫末裔といい、天正年中下道郡久代村(総社市)大高丸山に居城していたので、この城を福田城といいました。元禄2年藩主水谷氏の命により60数戸を率いて玉島に移住しました。
定次は住吉神社を勧請、定知は水谷神社を創建。定次と定知は大庄屋を勤めました。
安文は明治25年に羽黒神社、長尾神社の祀官兼務となりました。


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