難波家
窪屋郡平田村
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清兵衛直教――伝左衛門直盛――津右衛門直充――伝右衛門秀直――清右衛門元直――+ 寛永2 元禄12 元禄4 享保20 宝暦14 | 室瓜生氏 室八木氏 室間野氏? 室井上氏 室大島氏 | 室井上氏 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +==庄蔵直経―――伝左衛門直韻――+――伝助直寛 ――+==伝左衛門直盛 鳥羽氏 天保2 | 天保8 | 坪井氏 安永6 室坪井氏 | 室大島氏 | 室元直娘 | 室岡氏 | 室東原氏 室八木氏 | | +――女 +――景二韶寛――+ 三宅惟逸妻 明治39 | 室久山氏 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――せい | 三宅璋平妻 | +――岡代 | 星島謹一郎妻 | +――昇二――――――+――克巳 | 昭和28 | 昭和55 | 室深井氏 | 室庭瀬氏 | | | +――貞子 | | 三宅敏妻 | | | +――利子 | 佐野琢二妻 | +――復二 ――操 昭和6
難波家の墓地がある共同墓地内に隣接する観音堂は、大庄屋を勤めた加右衛門直忠(延宝7年歿62歳)が、若くして亡くなった長男太郎(明暦3年歿21歳)の菩提を弔うために建てたものです。本尊の十一面観音は行基の作と伝えられています。
倉敷市史に掲載された略系には、直充の妻は生坂間野氏と書いてありますが、今のところこれを証明する墓碑を見つけていません。直充の後妻は倉敷村の古禄宮崎屋井上家から来ていて、この墓碑は確認しています。
庄蔵直経は下道郡二万村(吉備郡真備町二万)の鳥羽家から迎えられた婿養子です。伝助直寛の妻は浅口郡道越村(倉敷市玉島道越)の大島家から、後妻は倉敷村の古禄俵屋岡家から来ています。直寛の妹勝子は酒津村(倉敷市酒津)の三宅家に嫁ぎ、直寛の孫娘世以も同じ家に嫁いでいます。直盛は窪屋郡溝口村(総社市溝口)の坪井家から養子に入っています。その妻は牛窓の東原氏です。景二は細木原(ほそきばら)と改姓しているようです。
明治3年の平田村宗門帳に、当時の難波家の家族構成が記されています。
真言宗旦那寺窪屋郡生坂村東雲院
里正(名主)
景二 歳35
妻 同31
子昇二 同5
子復二 同2
娘世以 同12
娘岡代 同8
母 同62
合7人内男3人女4人
牛1疋
景二が使っている印鑑には「難波直?」と彫ってあって、姓のついた印鑑は珍しいと思いました。土地台帳によると、景二は同村内に屋敷地を併せて3町7反7畝23.5歩の土地を所有していました.。次女岡代は児島郡藤戸村(倉敷市藤戸)の星島謹一郎に嫁いでいます。克巳の妻美知子は川上郡布賀村の庭瀬家から来ていますが、この広瀬家は布賀村庄屋平川家の分家になります。
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