酒屋岡本家
窪屋郡水江村





この一族は近江源氏の流れと云います。酒屋という屋号で解るように、江戸時代に酒造業を営んでいたようです。
岡本家の墓地は多聞寺にありますが、度重なる高梁川の洪水と墓地整理によって多くの墓碑のつながりが判りにくくなっています。

九郎幸行――六郎右衛門行暉――六三郎――三郎兵衛範幸――六郎兵衛豊行――(7代不詳)――+
永徳1   至徳1      応永1  応永33    長享3             |
                                            |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――助兵衛――助兵衛浄安――助兵衛浄祐――+――喜三郎
   慶長14 寛文7    延宝2    |  寛文9
                      |
                      +――助兵衛行昌――+――三郎兵衛行信
                         享保3    |  寛保1
                                |  室山田氏
                                |
                                +――女 宗吉妻
                                |
                                +――助兵衛行寛――幸右衛門行春――+
                                   宝暦3    安永9     |
                                   室中西氏           |
                                   室萱谷氏           |
                                                  |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――清左衛門行義――+――助之丞行兼――+――秋桂行世  ==文彦
|  寛政9     |  文政13   |  安政2     明治34
|  室石原氏    |  室樋口氏   |  室平松氏
|          |  室結城氏   |
+――来助行直    |         +――女
|  文化2     +――豊彦     |  陶山家嫁
|             弘化2    |
+――幸四郎        室佐々井氏  +――女
   家嗣        室太田氏   |  真安家嫁
              室木村氏   |
                     +――久・
                     |  吉田義郷妻
                     |
                     +――常彦  ――吉田真策妻
                        明治24
                        室蜂谷

上記の系図中、豊彦は四条派の祖といわれる呉春(松村月溪)門下の俊才として幕末の日本画壇に名声をとどろかした画家です。安原秀魁(豊)氏が、「倉敷三代画人伝」の中で、その小伝をまとめられていますので、それを参考にして紹介します。
豊彦は故あって中島村で成長しますが、幼い頃から絵を描くことが好きで、近所の仲良しであった白神昌保(々)のところで遊んでいるうちに、そこに絵を教えに来ていた黒田綾山から手法を学んだようです。
19歳で大坂の福原五岳に入門し、26歳で京都の呉春(松村月溪)の門に入っています。呉春の死後、京都錦小路新道に「澄神社」という画塾を開いて多くの弟子を育てました。

行兼は享和2年、文化5年と相次いだ大洪水で家産が傾いた後、京都で成功していた豊彦を頼って京都に移住しています。

行寛後妻は西阿知亀屋萱谷仁右衛門娘とあり、この萱谷家は玉島新町の萱谷家の本家です。
行兼の娘が嫁いでいる真安家は「福山」とあり、こちらで紹介している真安氏と関係があるかも知れません。吉田家は都宇郡大福村(現岡山市)、行世妻の実家平松家は帯江(倉敷市)とあります。その他、過去帳によると、箭田村(吉備郡真備町)妹尾家との縁戚関係もあったようです。

現在もこの地方に岡本姓が多いですが、同族と思われる家は少ないようです。

甚四郎――源太郎――守太郎――文夫
明治28 明治22 昭和20

都窪郡誌の中洲村支配者沿革に、水江村判頭岡本甚四郎とあります。


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