小坂家
西北條郡香我美南村





「玉野屋親類記」に出ている家です。この家の調査ではたいへん難しいパズルを解くことになりました。「玉野屋親類記」は、戸川京助武仁という人が嘉永4年に記したものですが、その一部は子供の悪戯が原因で、損失している箇所もあります。池田辰治郎と池田和平(従兄弟)が子供の時に、この親類記を破って凧の尻尾にしているいるところを義大叔父の水島駒吉に見つかって咎められ、2人は小遣いを貰ったそうです。謎解きの経緯からお話ししましょう。

まず、親類記に下記のような系図があります。

――+
  |  二
  +――某 加々見坂手傳兵衛養子
  |
  |  三
  +――女 戸川助右衛門吉富妻

親類記にある「田村長尾氏者予曾祖父吉親君ノ御内室君ノ里也其後祖父吉仁君ノ妹多満君長尾丈兵衛君之室トナリ給同苗民右衛門君者予父藤助親仁君従弟也」という記述と照合すると、上記の系図は田邑村長尾家の系図の一部と思われます。

次に、親類記に下記のような系図(系図A)もあります。

坂手氏加々見
坂手傳兵衛――+――傳兵衛――――――――+――里津 加茂知和村内田紋兵衛妻
       |  実は長尾六右衛門次男 |
       |  戸川吉富妻の兄    +――傳兵衛―――――――――――――――――――+
       |             |                        |
                     +――藤右衛門 加茂知和村内田紋兵衛妹の婿養子  |
                     |                        |
                     +――女 坪井町濱野屋嘉市妻           |
                     |                        |
                     +――女 三海田村善兵衛妻            |
                                              |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――古登

+――多加 貞永寺村櫻井牧太郎妻

+――女 高圓有本平左衛門妻

+――与茂介――

勝田郡奈義町高円の有元家の系図に、32代平左衛門佐幸(明治5年歿、享年68)の妻が作州香々美小坂伝兵衛の娘とあります。小坂伝兵衛が坂手伝兵衛の誤記であれば系図Aがそのまま理解できそうに思い、子孫に問い合わせてみましたがどうもはっきりしませんでした。
そこで、苫田郡鏡野町沖(香々美下)の坂手一族の墓地を調べ、一族のご子孫からもいろいろお聞きしてみましたが、やはり坂手家と長尾家の糸はうまく結べませんでした。
続いて、同町寺和田の小坂一族の墓地を訪ねてみました。そこで小坂傳兵衛と刻まれた墓碑を2基みつけて、親類記の「坂手」が「小坂」の誤記であることに気づきました。

小坂氏のご子孫を訪ねてみました。快く系図や位牌を披露していただき、そこに次のような記録(系図B)を発見しました。

善兵衛――+――宇兵衛
     |         出店
     +――傳兵衛――――平治郎――+――女
     |  別家          |
     |              +――女
     +――六右衛門        |
     |  田邑へ養子       +――駒之助――+――茂八
     |              |       |  本家からの養子 妻は家女
     +――伊平治         +――岩之助  |
                            +――與茂七 妻は田邑長尾
                            |
                            +――女 大町村へ住居
                            |
                            +――女 高円村有元氏へ嫁

系図AとBとを比べると何となく似ていることが解ります。與茂七(=与茂七、与茂介は誤記か?)の姉妹が高円の有元家に嫁いでいて、そのきょうだいの曾祖父が傳兵衛であることが見事に一致しています。
更に、系図Bには、出店平治郎妻は石川左近右衛門娘とあり、家付の娘ではないのですが、平治郎親の傳兵衛墓碑は単独となっていて、系図には妻が記されているにもかかわらず墓碑がありません。初代傳兵衛には子がなくて、田邑村長尾家に養子に入った実弟の次男を養子に迎えて二代傳兵衛(=平治郎)として、これに嫁を迎えたと解釈出来るように思います。

小坂家の先祖は伊勢国に住んで長野姓を名乗っていました。後に播州赤松家に属して、小坂を名乗るようになります。十郎左衛門の代に赤松孫次郎乗勝に仕えて作州に移り、久米郡南分下2ヶ村の内に城を与えられます。十郎右衛門の子弥三郎は、赤松家が播州に引き揚げたあと、浦上遠江守宗景に仕えて備前國赤坂郡仁堀村八幡山、太田百足城を与えられています。その子与三郎(宇兵衛)家房は久米郡山手村の小松尾城に住んで、芸州から三村備中守家親等の軍勢が攻めてきたときに大いに活躍して敵を追い払って宗景から感状を貰っています。しかし、その後浦上家が滅んで宇喜多家の勢いが伸びると、小坂氏もこれに従いました。森家入国の後は久米郡南庄村(久米南町南庄)で庄屋、大庄屋を勤めました。

                      橘
敏達天皇――難波親王――栗隅王――美奴王――諸兄――奈良麿――嶋田麿――真趣――岑範――廣相――公村――好古――+
                                                        |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――敏政――則階――成任――次継――廣方――廣仲――親長――邦業――邦良――邦方――邦量――以實――以親―――+
                                                        |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

|                                      長野
+――知宣――知仲――知浅――知嗣――知頼――知任――知兼――知繁――知立――知家――家輝――家成――吉昭―――+
                                                        |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

|      小坂
+――家章――家利――家長――家秀――宇兵衛家房――与三郎貞信――+――九郎兵衛家貞――七郎右衛門家勝―――――+
                                 |                      |
                                 +――三郎兵衛信家              |
                                                        |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――長右衛門家治――軍治家聴
   享保20

宇兵衛家房の孫三郎兵衛信家は香我美村に移住しています。

                        早村
三郎兵衛信家――善九郎 ――善九郎家善――+――善兵衛 ――+――宇兵衛――+――女 入江彦三郎妻
        室三村氏         |  室常澤氏  |  室安藤氏 |
                     |        |       +――女 安藤市三郎妻
                     |  宗信    |  出店   |
                     +――善九郎   +――傳兵衛  +――茂八 宗信嗣
                              |       |
                              +――六右衛門 +――菊右衛門
                              |  長尾家嗣 |  新免家嗣
                              |       |
                              +――伊平治  +――女 牧善蔵妻
                                 和田村へ |
                                      +==律治 ――+――女 牧尾家嫁
                                         村上氏  |
                                              +――女 豊田家嫁
                                              |
                                              +――女 保田家嫁
                                              |
                                              +――八百蔵 ――――――+
                                                 室寺岡氏      |
                                                 室森田氏      |
                                                           |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――茂八 出店嗣

+――岩五郎 出店嗣

+――幾蔵    ――+――寿八郎 ――+――千鶴 影山磐妻
|  明治37    |    昭和2   |
|  室山口氏    |  室杉浦氏  +――寅雄
|          |        |  室有元
+――女 矢部家嫁  +――友治郎   |
|          |  瀬畑家嗣  +――次男
+――女 牧野家嫁  |        |
|          +――軍治郎   +――好野
+――女 平井家嫁     大谷家嗣  |  大林熊一郎妻
                    |
                    +――春代
                       森田昴妻

上記が早村という屋号の香我美宗家の流れですが、分家宗信の系図は、

善九郎 ――+――幾右衛門    ==茂八 ==順治 ――+――庄之助
室長田氏  |  室安藤氏      小坂氏  福田氏  |
      |            室家女  室家女  +――亀之助
      +――女                   |
         東郷佐治右衛門妻            +――三五郎

分家出店の流れは次の通りです。

傳兵衛===平治郎定春――+――女 内田豊高妻
佐光    長尾氏    |
室江見氏  室石川氏   +――傳兵衛慶平―――――+==茂八====岩五郎―――龍市――――+――松代
             |  天保7       |  小坂氏   小坂氏   室衣笠氏  |  田口喜文治妻
             |            |  天保14  明治11        |
             +――岩之助       |  室慶平娘  室上原氏        +――亀雄
             |  内田家嗣      |                    |
             |            +――與茂七――清治郎          +――道雄―――――+
             +――女 太田原嘉一郎妻 |  室長尾氏              |  室石川氏   |
             |            |                    |         |
             +――女 小坂田善兵衛妻 +――女                 +――熊雄     |
                          |                              |
                          +――女 有元佐幸妻                     |
                                                         |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――男

+――男

+――女
   武藤家嫁

2代傳兵衛定春は寺和田の円通寺に閻魔像を寄進しています。

「玉野屋親類記」には慶平のあとは子與茂七が相続したと書いてあるのですが、小坂家の系図によると、與茂七は豊後国大分毛井村に転住、その子清治郎は因幡国田瀬宿で明治10年、25歳で死去したとあります。


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