白神家
下道郡薗村




表白神

右京亮果春――右京進 ――+――清左衛門盛吉==孫右衛門貞之――権兵衛 ――茂十郎正庵――源右衛門盛良――+
天正4    慶長14  |  寛永18    佐野氏     元禄10  正徳4    正徳1     |
             |          元禄5                          |
             +――女                                    |
                佐野元家妻                                |
                                                     |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――喜太郎盛実――清太郎盛康――小左衛門盛義 ――+――三郎兵衛盛達==三郎兵衛盛定==三郎兵衛盛繁――+
                 元文2      |  宝暦11    石川氏     梶谷氏     |
          室土師氏?           |          文化1     天保4     |
                          |          室       室家女     |
                          +――某                       |
                             石川家嗣                    |
                                                     |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――豊
|  塩尻氏妻

|                        梶谷
+――利貞  ==策太忠正 ――+――惣一盛真――靖之
|  明治4   三宅氏    |  昭和29  昭和62
|  室塩尻氏  明治38   |  室平山氏  室春名氏
|        室利貞長女  |
|               +――卯三郎
+――嘉三郎盛行           永山家嗣

こちらのサイトによれば、岡山県南にある白神氏は永正年中(1504~1520年)に京都から来た右京亮果春の子孫で、右京亮果春からさらに遠くさかのぼると菅原道真につながるとのことです。
電話帳を調べると、岡山県内の白神姓は881戸で、五百年ほどの間にこれだけの戸数の増加があったのかどうか考えてみました。
白神姓の全国密度分布をみると、岡山県がダントツであることが判ります。白神氏の「ふるさと」が京都であるなら京都府にも高密度があるはずですが、京都府には白神姓がほとんどありません。
菅原道真の子孫というと、岡山県北に有名な集団があります。作州菅家と称する諸家ですが、それらの全国密度分布図は、白神姓とよく一致しています。
そのうちの友保氏を例に挙げてみました。系図によると、応永四(1397)年に死去した人が始めて友保と名乗っていますが、この姓の岡山県内での戸数は49です。
生物学的に個体の繁殖力の差はあり得ますが、白神姓と友保姓の差があまりにも大きいので、白神姓が多いのは単純な増殖でないように思われます。
もともと違う姓の人が白神姓を名乗るようになったことも考えられますが、岡山県南には右京亮果春の時代よりも前に白神姓の集団がすでに出来上がっていたのではないかと思います。その中から京都へ出た人があって、その人、或いはその子か孫が右京亮果春で、先祖の集団に戻ってきたとすれば、京都府の密度が少ないことも、現在の岡山県内の戸数も説明ができるのではないでしょうか。

上写真は表白神の墓地で、中央列に奥へ並ぶ三基の五輪墓は、台石部分が改修されています。一番手前の五輪墓が右京亮果春で、台石に、
「白神右京亮菅原朝臣果春君生於山城国嵯峨野為京都北面武士時天下噪擾備中国有塩谷尼子細川三好赤松等諸族兵争不熄永正六年近侍二階堂上野伊勢諸将奉鎮撫命而来上野民部大輔居於原郷鬼邑山城時白神果春君與上野氏為親族従而来為苑郷馬場入堂山城主後有故住於本村字上之段為土豪天正四(1576)年 後裔盛真謹誌」
とあり、明治三年生まれの惣一盛真が近代に墓を建て直したことがわかります。惣一の実弟卯三郎は、岡山県内の郷土史を集大成したともいえる人ですから、自分の実家について調べていないはずはありません。盛真謹誌という上記の文章は、卯三郎の作文と云っても間違いではないでしょう。

大白神

藤左衛門盛繁==藤左衛門正盛――+――圭三盛鼎――+==修平   ――+――富太郎 ――+――斐夫   ――+――俊男  ――+
文化13    荒木氏     |  慶應1   |         |  昭和37  |  昭和42   |  平成13  |
室渡邉氏    萬延1     |  室松森氏  |  明治39   |  室高見氏  |  室田中氏   |  室神野氏  |
        室盛繁女    |  室     |  室盛鼎長女  |        |         |        |
                |        |  室      +―― 一二   +――女      +――尚     |
                +――謙次    |            黒瀬家嗣     江口純一妻     昭和45  |
                   和栗家嗣  +――女                                  |
                         |  荒木高克妻                              |
                         |                                     |
                         +――武一                                 |
                            小山家嗣                               |
                                                               |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――女
|  和田氏妻

+――女
   青景氏妻

「大白神」家の墓地には、寛永の銘がある石塔から年代を下る様に並んでいます(上写真)。その一部は上記のように続柄を確認できましたが、表白神との接続点は不明です。

惣右衛門盛村――善兵衛盛次  ――+――佐次右衛門盛康――+――左治右衛門盛包――源五郎盛繁――小兵衛盛久――+
寛永11    寛文6      |  元禄16     |  元文4      元文3    寛政8    |
室       室三宅氏     |  室土師氏     |  室        室宍甘氏   室      |
                 |           |                         |
                 +――喜三右衛門盛武  +――與三右衛門盛之                |
                    完甘姓         分家                     |
                                                       |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+==佐次右衛門直盛――+==恕助盛傳
   三宅氏      |  白神
   文化9      |  安政6
   室盛久長女    |  室直盛娘
            |  室直盛娘
            |  室白神
            |
            +――寿助盛近――佐四郎盛行
               慶應4   明治38
               室     室
                     室

この白神家も表白神や大白神との関係がよく判りませんが、窪屋郡中洲村中島の白神家との縁が確認できているので興味があります。中島の白神家先祖は薗から出ているとの伝承がありますが、こういう縁組みがその裏付けの一つになると思います。
恕助(忠左衛門)は後に実家に復籍し、墓碑は中島に四番目の妻東氏と一緒に建てられています。
下記は吉備郡誌薗村庄屋一覧からの抜粋です。

白神清左衛門盛吉  元和・寛永中 明暦二年五月二十日歿
 同孫右衛門貞之  寛文中 元禄五年五月十三日歿
 同吉右衛門(権兵衛、三郎兵衛)    元禄中 元禄十年正月五日歿
 同源右衛門(三郎兵衛)盛良  宝永中 正徳元年八月九日
 同茂十郎正庵   正徳中 正徳四年正月七日歿
 同喜太郎(三郎兵衛)盛實   享保中 享保十九年十月一日
 同清太郎(三郎兵衛、孫兵衛)盛康   享保中 享保二十年三月十八日歿
 同小左衛門(三郎兵衛)盛義  享保・元文中 元文二年七月二十二日歿
 同小兵衛     宝暦中 寛政八年二月五日歿
 同佐次右衛門直盛 寛政中 文化九年八月十三日歿
三宅又三郎     正徳中
 同清三郎     享保中
 同藤左衛門    文化九~
 同藤左衛門    文政・天保中
 同圭三      萬延元
 同庄右衛門(後改修平 里正戸長郡書記八田、新本庄屋兼務)慶應元年頃

このうち、小兵衛と佐次右衛門直盛が中島の新屋敷・白神家の過去帳に載っています。薗の庄屋は表白神からこの白神家に移り、最後に大白神が勤めて維新を迎えたことが解ります。一般に、庄屋職は同族で受け継がれますので、上記三家は元が同じ白神氏と考えられます。


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