荻野家・新屋
児島郡味野村




私がこの家系を調べることになったのは、倉敷市史第八冊に収録された中島家と荻野家の系譜を読み、父と二いとこにあたる荻野哥女の家が同じ家ではないかと思ってからでした。

屋号が「新屋」ですから本家があるのでしょう。
「岡山大学所蔵近世庶民史料目録 第三巻」に荻野家文書の目録があり、仁右衛門からの略系図が載っています。二代は善左衛門、正徳二(1712)年歿ですが、墓地に、「為晴霧遊水一百回忌追善也 文化八(1811)年四月日造立」という供養塔がありますから、これが二代の供養塔に相当します。

墓地(塋域)は明らかな囲いがありますが、その外(前)にある同姓墓の中に、
「此為晴霧遊本信士墓址今者憂其與他雑糅開擴邸壟而整置高祖以来之墓於一域限中於是乎古塚新墳井然有秩因表此石以存陳迹云明治八季乙亥四月荻野晋七郎輝建之 堅山緝庸齋撰」
という碑があります。

塋域内に、
「・源浄果信士百回忌追福 文政十一戊子(1828)六月十二日 施主荻野善三郎俊孝」
という供養塔があります。逆算すると享保十二(1727)年に亡くなった先祖のようですが目録掲載の略系図にも、該当する墓碑もありません。ただ、これも塋域前墓地に「此為心源浄果信士心玉智照信女墓址」という晋七郎輝の建てた碑があります。

文書目録にある記述によると、寛文五(1665)年頃には仁右衛門が田畑五反九畝(味野村の平均は三反九畝)と塩浜三畝を所有し、四畝の屋敷を構えていました。仁右衛門は遅くとも寛文十二(1672)年には味野村庄屋となり、天和年中には下肝煎(大庄屋)に取り立てられています。その子の善左衛門も下肝煎を勤めています。以後は孫次郎から善八郎孝重まで(明治に至るまで)代々名主を世襲しています。

善八郎の子幸平は、児島銀行、味野紡績所の設立に参画し、明治十六(1883)年に児島郡内の資産家リストに頭取として上がっています。現在の荻野家の跡地は児島聖約キリスト教会として利用されています。

仁右衛門  ――善左衛門  ――孫次郎  ――善左衛門  ――栄蔵尹叔――善右衛門伯孝――+――権左衛門修孝 ――+
        正徳2     宝暦13   寛政3     文化5   文政6     |  文政7      |
                室昆陽野氏  室             室昆陽野氏   |  室中島氏     |
                                     室石井氏    |           |
                                             +――かな       |
                                             |  昆陽野喜代八妻  |
                                             |           |
                                             +――女        |
                                             |  荻野慮動妻    |
                                             |           |
                                             +――善蔵       |
                                                分家       |
                                                         |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――善三郎俊孝 照――+――幸
|  安政3      |  
|  室松尾氏     |
|  室松浦氏     +――伊勢
|           |  分家
+――町        |
|  野崎武左衛門妻  +――男
|           |
+――貞子       |
|  昆陽野昌忠妻   +――善八郎孝重――+――幸平彰孝――+――女
|           |  明治7    |  明治32  |
+――勇        |  室日笠氏   |  室荻野氏  |
|  荻野知雄妻    |         |  室浅野氏  +――正孝  ――+――孝一郎
|           +――光蔵     |        |  昭和26  |  大正13
+――多門治         嘉永7    +――季平慎孝  |  室小野氏  |
   文政1                   分家    |        +――知孝
                               +――章     |  平成11
                               |  分家    |
                               |        +――毅
                               +――花子    |  平成27
                                  明治33  |
                                        +――四女子

上記のように新屋荻野家は昆陽野(野崎)家と重縁がありますし、昆陽野(野崎)家の並び位置した富屋荻野家と共に三家の親戚関係から、富屋と新屋は同じ株のように思います。
権左衛門修孝の妻は、私の生家から中島家に嫁いだ槙の娘ですから、これより後代は私とDNAを共有していることが判りました。
修孝の三人の娘うち、次女の貞子は実家にも墓が建っています。夫の喜太郎昌忠が若くして亡くなった後、そのまま婚家に残って後夫安次郎を迎えています。しかし、喜太郎との間に生まれた子も、安次郎との間に生まれた子も幼くして、或いは若くして亡くなり、更に貞子自身も相次いで死去してしまいましたので、不幸を哀れんで実家に墓が建てられたのかと思われます。

**

晋七郎輝 ――+――男
日笠氏    |  文久2
明治26   |
室俊孝長女  +==修一
       |  能勢氏離縁
       |  室輝長女
       |
       +==亀太郎
          妹尾氏
          
          室輝長女

晋七郎=材次郎、亀太郎は俊孝長女(幸)の姪とあります。

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季平慎孝 ――+――弘孝   ――強
昭和16   |  大正15   平成27
宇都宮氏  |  室三島
       |
       +――武夫
          平成4
          室大橋

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章   ――+――東作
昭和39  |  昭和39

加登屋

善蔵  ――+――喜八郎   ――千代蔵  ==卯太カ  ――光章  ――J
天保9   |  明治5     大正2    山本氏    昭和60
室     |  室       室      昭和14   室大森氏
      |                 室
      +――女
      |
      |
      +――琴
         西原圭太カ妻



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