福島(三浦)家
真島郡草加部村



平成8年10月、この家のご子孫A氏から、「家系を調べてみたいのでアドバイスをお願いできないか」というご用件のファックスを戴きました。A氏は、私が系図調査をきっかけとして文通をはじめた太田様のご友人でした。そこで、何かお役に立てることはないかと、手元の資料やら図書館の蔵書などをあたって調べてみることにしました。



草加部の福島家の先祖は美作国高田庄(真庭郡勝山町)の地頭三浦氏で、もともと平氏の流れ、鎌倉幕府創始者源頼朝の旗揚げの時に功績の大きかった三浦介義明の後裔です。嫡流は相模、河内、紀伊、讃岐、土佐などの守護になっています。はっきりしたことは不明ですが、備中高梁の城主であった秋庭氏も三浦家の流れといいます。
高田庄の三浦家は、鎌倉時代後期から高田庄地頭として、牧、金田、近藤、宇野、船津などの近隣豪族を家臣団に組織化して強大な勢力を維持していたようですが、貞久から貞廣の代になると、出雲尼子氏、備中三村氏から度々攻撃をうけた上に、天正4年には宇喜多・毛利連合軍に攻められてついに落城しました。

            平           三浦
桓武天皇――葛原親王――高望――良茂――良正――公義――為次――義次――義明――義連――盛連――時連――宗明――貞宗



高田城主
下野守
貞宗――+――遠江守行連――遠江守範連――下野守政盛――遠江守持理――+――遠江守貞明――+――駿河守貞連――+
明徳3 |  永享9    享徳1    長禄2    長享1    |  明徳9    |  永正6    |
    |                              |         |         |
    +――武蔵守兼連                       +――出羽守貞俊  +――美濃守忠近  |
                                             |         |
                                             +――帯刀貞俊   |
                                                       |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――駿河守貞国――+――下野守貞久――+――元兼
   享禄2    |  大永2    |  天文21
          |         |
          +――二郎與国   +――孫九郎貞勝
          |  丹治家嗣   |
          |         +――才五郎貞廣
          +――孫三郎貞尚
          |
          +――貞盛――+――女 貞廣妻
             永禄8 |
                 +――女 福島兼義妻

遠江守貞明の3男帯刀貞俊は草加部飯山城主となっています。その妻は大庭郡目木村の福島玄蕃一盛(三浦家旧臣)の娘で、その3人の子が福島氏を名乗って三浦家家臣となったそうです。目木福島氏の家紋は三階松に二引ですが、草加部福島氏は三階松となっています。高田落城後に帯刀の子孫は草加部村に帰農し、森家の領国になった時に弥右衛門(八右衛門)が大庄屋となり、森家改易の後も徳川綱豊所領の大庄屋、その後に服部中務大輔所領となって取締庄屋を勤めています。

         植木左平治秀兆
               ‖
               +――三郎右衛門秀行 真島郡大字赤野植木氏祖
               ‖
帯刀貞俊――+――右近貞政――女
天文17  |  元和6
福島氏  |  室牧氏
      |
      +――源太兵衛兼義――弥右衛門尉兼範――+――弥右衛門兼次――+==作左衛門兼直――女 兼隆妻
      |  元和4     寛永6      |  室金田氏    |  兼家男
      |  室三浦氏    室江原氏     |  寛文7     |  承應3
      |                   |          |
      |                   +――太郎兵衛貞次  +――女 金田孫右衛門妻――兼隆
      +――三十兵衛兼盛                  兼家  |
         慶長20                寛文9     +==弥右衛門兼貞====弥右衛門兼隆――+
         室福井氏                福田村移住      元禄10      金田氏     |
                             子孫冒姓村岡     室兼次娘      宝永8     |
                                                          |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

|  三浦        福島                          三浦
+――弥右衛門貞浸兼綱――伊左衛門尉兼映――茂左衛門義真――+――啓左衛門義知==和三郎定義――義陳
|  寛保2       明和6      文政12    |  天保9
|  室金田氏                       |
|                             +――泰司秀正
+――弥内光次                          片山家嗣

福島右近の1人娘は植木左平治秀兆を迎えて三郎右衛門秀行を生んでいますが、秀兆が文禄の役で戦死したため、後に妹尾孫兵衛に嫁ぎ、秀行は成人後に植木姓を名乗ったそうです。この植木家は真島郡大字赤野とあるので、現在の真庭郡落合町赤野のことだと思います。池田家の先祖に西の土居の植木家から嫁いできた人がいます。西の土居というのがこの落合町近辺とのことですので、この植木氏に関心を持っています。
勝山町史前編(S49、勝山町発行)52頁に、天正初年の高田城主三浦家侍帳が掲載されていて、ここに、
長臣、福島源太、松ヶ段知行1500石
とあります。源太は源太兵衛兼義のようです。
泰司秀正は加茂大庄屋を勤めた人で、実は作州勝山高田城主福島茂右衛門3男で斧之介秀勝娘婿養子として入家しています。義真の墓前に供養塔が1基あり、
「安政5初秋吉、慈父・慈母4男 授片山泰司平秀正」と彫られています。

A氏所蔵系図によると、三十兵衛、太郎兵衛、九郎右衛門、五郎兵衛、六右衛門、孫右衛門、孫三兵衛、太郎左衛門と続いていて、この太郎左衛門から大上に住んだとあります。それから、九重郎兼良、次郎右衛門、源助兼行、九重郎兼光、本之助国兼、安之助兼政、九十郎兼俊、儀太郎兼英と続いています。



大上の墓地には、元禄10年歿の如真院浄諦(市右衛門)、貞享1年歿の光月妙浄(市右衛門母)という墓碑があり、それから2〜3代が飛んで、寛政1年歿の孫助(九十郎)兼義(=兼良)、とその妻(宝暦8年歿)の墓碑から現代に続いているのが確認できます。
蓮祐寺の墓地には四箇所くらい株家と思われる福島姓の古い立派な墓所があります。これらは、帯刀貞俊の3人の子の子孫がそれぞれ草加部で繁栄したことを示していると思われます。その中、大正15に亡くなられた隆治の墓碑には、「三浦貞俊次男源太兵衛兼義弟三十兵衛兼盛正孫」と彫り込まれています。正孫かどうかの考察は後回しにしますが、同所には、天和2年歿の九郎左衛門、寛保1年歿の五郎兵衛、という墓碑があって、系図にある九郎右衛門、五郎兵衛と同一の人物ではないかと思われます。

孫助兼義――+――次郎右衛門
寛政1   |
      +――源助兼行――九十郎兼光――+――本之助國兼
         天明5   文政2    |  文政10
                      |
                      +――九十郎兼俊――儀太郎兼英――+==某
                      |  慶應2    明治12   |  
                      |                |  
                      +――安之助兼政         |  室兼英長女
                         天保5           |
                                       +――女
                                       |  石井家嫁
                                       |
                                       +――廉平   ――+――秀之   ――A
                                       |  大正15   |
                                       |         +――博
                                       +――女      |
                                       |  為貞家嫁   +――女
                                       |         |  岡靖一妻
                                       +――女      |
                                       |  上田家嫁   +――女
                                       |         |  河原猛夫妻
                                       +――女      |
                                       |  藤巻家嫁   +――女
                                       |         |  山本敏郎妻
                                       +――女      |
                                       |  吉岡家嫁   +――女
                                       |            赤木高正妻
                                       +――女 長坂家嫁

美作勝山藩志稿に、明治維新前後の草加部村上分庄屋として福島儀太郎の名が見えます。

目木福島家とも重縁になる野々口大村家から建部に分れた家の娘に、
作州草加部村福島五郎兵衛妻享保13、6、18歿、妙性
という記録があります。この人は野々口大村官右衛門房重の母と従姉妹になります。
A氏からのお問い合わせがきっかけで参考資料をみてゆくうちに、この五郎兵衛は有恒氏所蔵系図中にある五郎兵衛と同一人物ではないかと思い、草加部の福島家墓地を一通り調べてみましたが、一致する墓碑がみつかりませんでした。

某   ――虎太郎兼徳――+――衛   ――男
      昭和34   |  昭和50  室有元
             |
室兼英長女        +――文夫
                安東家嗣

墓碑確認によって、次のような系もあることが判りました。

源太兵衛――弥三兵衛兼久――源左衛門兼良――類右衛門兼藤――源左衛門――伴蔵――平蔵
正徳6   享保11    安永3     寛政2     文化2   安政4 安政4

弥内光次――重左衛門貞雄――治惣太兼孝――重左衛門兼善――重三郎兼昌
正徳6   天明8     享和1    文政4     明治3

「三十兵衛兼盛正孫」という墓碑のある場所には、上記の九郎左衛門、五郎兵衛の他、
元禄11、福島三郎治妻
宝永7、福島忠兵衛
宝暦8、福島重右衛門兼孝妻
元文5、福島平助
安政6、福島兼富妻
嘉永2、福島常蔵兼善
などの墓碑が俗名まで確認できますが、多くは戒名の判読がやっとの状態です。元禄、享保期の墓碑が多いようです。


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