大村家
津高郡建部村(御津郡建部町新町)




上写真は建部丘の鼻にある綿屋、油屋の共同墓地です。手前にみえる供養塔(中央笠付き)には野々口の国道沿いに建っている碑と同じ形で同じ碑文を彫ってあります。両者とも綿屋二代孫左衛門盛時が建立しました。
岡山側から国道53号線を津山に向けて走ると、野々口の農協の手前の道路左端に法華経を彫った塔が建っています。それは野々口の宗家墓地を遙拝するように立てられていて、同じ形で少し大きい塔が建部の綿屋と油屋の共同墓地の入り口に建てられています。
先祖の調査をはじめて以来、ずっと以前から気になっていた建造物が自分と何か関係のあるものだっとということが後に判って不思議な気分になることがありますが、この塔もその一つです

野々口の本家から同村内に分家し、後に建部に移住した盛国のあとは下記のようになります。

建部は備前岡山藩の家老池田家(一万四千石)の陣屋町で、寛永九(1632)年の池田光政の入国以後に作州への備えとして設けられました。建部新町は慶安三(1650)年に造成されましたので、盛国はその草創期から入植した古株のようです。
建部新町では年貢は免除され、そのほとんどは商家でした。税金免除という特権を与えるかわりに、近郷の有力土豪の財力で新しい町の造成を行っていることが解ります。

盛国の子盛時の代に綿屋と称しています。盛明は野々口に住んでいますので、建部大村家の始祖は孫左衛門盛時になります。長兵衛は岡山森下町へ分家して大和屋(後野々口屋)と称しています。半平盛重は岡山難波町で分家しています。
孫左衛門(清兵衛、甚左衛門)盛時は寛永十二年生まれ、明暦二年二十三才の時に分家して建部新町に住み、綿問屋を始めました。寛文二年九月に天神宮鳥居を寄進、先祖祀りの石碑を建部と野々口街道に建てています。たいへん信心深い人だったようです。その上銘曰
「南無妙法蓮華経日蓮大菩薩 享保二年丁酉十月十三日建立 施主大村氏法名浄讃」
享保十一年に九十三という長寿を全うしています。墓は建部丘ノ鼻にあります。権八郎(孫兵衛)は亀井家の養子となりました。

盛時の嫡子治兵衛は若くして亡くなり、次男藤兵衛盛金は分家して油製造業を始めました。綿の実から採れる油を商う専門店として独立営業をしたものと思います。三男十郎兵衛は岡山森下町へ分家した叔父長兵衛の養子となり、季男吉五郎盛末は同町内に分家して松屋と称しています。盛時の跡は四男文左衛門(傳八郎、弥三次)盛貞(伯定)が嗣いでいます。娘たちはそれぞれ同町市場屋河原新左衛門、和気郡伊部村森與右衛門に嫁いでいます。
盛時と盛貞の妻はいずれも長尾氏となっています。油屋二代浅右衛門盛勝が長尾正悦の次男で、この正悦の墓が油屋墓地の丁度隣接した上の長尾姓墓地にあります。碑文を確認すると、長尾家は幕末嘉永年間頃まで建部の住人であったと思われます。

綿

甚左衛門盛国――+――多左衛門盛明
延宝2     |  寛文13
花房氏    |  室
        |
        +――長兵衛
        |  分家
        |
        +――半平盛重
        |  享保5
        |  室
        |
        +――孫左衛門盛時――+――治兵衛
        |  享保11    |  元禄11
        |  室長尾氏    |
        |          +――藤兵衛盛金
        +――孫兵衛     |  分家油屋
           亀井家嗣    |
                   +――十郎兵衛
                   |  大村家嗣
                   |
                   +――弥三次盛貞  ――+――女
                   |  延享2      |  大村盛喬妻
                   |  室長尾氏     |
                   |           +――弥惣治盛利――+――孫平治    ――+
                   +――女        |  宝暦11   |  宝暦6      |
                   |  河原新左衛門妻  |  室河原氏   |  室堀家氏     |
                   |           |         |           |
                   +――女        +――久兵衛    +――久兵衛盛正    |
                   |  與右衛門妻      享保7    |  天明3      |
                   |                     |           |
                   +――吉五郎盛末              +――女        |
                      分家松屋               |  木村喜右衛門妻  |
                                         |           |
                                         +――女        |
                                            山本幸介妻    |
                                                     |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――女
|  落合に嫁

+――女
|  駒井甚七妻

+――女
|  平福嘉右衛門妻

+==紋兵衛    ――+――竹次郎
   木村氏      |  文化9
   文化11     |
   室盛利娘     +――直
            |  周齋妻
            
            +――岩三郎 ==昇造盛正――+――女
            |  文化13  河田氏   |  神崎家嫁後離縁
            |  室木村氏  文久2   |
            |        室寺尾氏  +――貞介     ――常太郎 ――千代
            |              |  明治19     明治37  石井家へ
            |              |  室神崎氏     室石井氏
            |              |
            |              +――利介
            |                 河田家嗣
            
            +――庄三郎
               某家嗣

盛貞の次女は野々口宗家大村忠左衛門盛喬へ嫁ぎ、次男弥惣治(弥三治)盛利が跡を嗣いでいます。盛利の妻は市場屋河原新左衛門の六女、盛利弟孫平治の妻は堀家金兵衛娘となっています。

紋兵衛(文左衛門)は岡山船着町木村喜右衛門の子で伯父弥三次の養子となっています。この夫婦はいとこ同士です。長女於直は建部下神目の菅周齋へ嫁ぎ、岩三郎は父が早世したので幼い頃岡山船着町木村家へ寓居、後に建部の松屋へ寄寓しています。この人も若くして亡くなりましたが、妻は木村喜右衛門姪となっています。

その後、綿屋は河田八郎右衛門為記の子昇造盛正と寺尾三兵衛の次女が夫婦養子で入って嗣ぎました。盛正の長女は佐伯藩土倉国老神崎家へ嫁ぎ、後故あって離縁、さらに備中野山村の豊田正義妻となっています。長男貞介が跡を継いで、次男利介は父の実家河田家を嗣ぎました。
貞介の妻は佐伯藩神崎熊吉の娘で、盛正長女の最初の嫁ぎ先と同じ家になると思います。

貞介の子常太郎は、明治十三年頃より一人娘を野山村豊田氏(伯母の家)に託して遊学、医者になりました。東京浅草吉野町で開業しますが、明治三十七年に四十才の若さで死去、妻は備中高梁町字荒神町の石井氏三女でしたが、離縁復籍して、その時に娘千代も母に随って石井家へ行っています。こうして綿屋は絶家し、祭祀は分家の油屋に引き継がれました。

吉五郎盛末――+――女
延享2    |  享保9
室      |   
       +==喜平次 ――+――和兵衛 ――+――女
          大村氏   |  室有元氏  |
          天明1   |        +――義三郎
          室盛末娘  +――女     |  文久4
                         |
                         +――女
                            山本幸介妻

吉五郎の妻は嵯峨屋利右衛門娘、喜平次(勘四郎)は岡山森下町の大村十郎兵衛五男です。和兵衛の妻が真庭郡久世町から来ているので、義三郎は作州久世町に移住しました。系図にはこの子孫はあるが音信不通であると記されています。

藤兵衛盛金――+==浅右衛門盛勝 ――+――藤兵衛盛信==清兵衛盛巌――+――藤兵衛盛一
延享2    |  長尾氏      |  天明4    近藤氏    |  嘉永5
室大村氏   |  室盛金娘     |         文化10   |  室黒田氏
       |           +――吉次郎    室近藤氏   |
       +――女        |  分家     室河田氏   +――亀三郎
       |  難波運右衛門妻  |                |  佐藤家嗣
       |           +――女             |
       +――女        |  近藤利胤妻         +――女
       |  福島五郎兵衛妻  |                |  高原太仲妻
       |           +――女             |
       +――女           林安次郎妻         +――直介盛直 ――+――藤十郎盛敬 ――+
       |  河本武右衛門妻                   |  明治3    |  明治36    |
       |                            |  室氏    |  室高原氏    |
       +――女                         |         |          |
          ・・権四郎妻                    +――盛介     +――女       |
                                    |  近藤家嗣   |  高橋茂三郎妻  |
                                    |         |          |
                                    +――イク     +――直太郎盛胤   |
                                              |  分家出店油屋  |
                                              |          |
                                              +――女       |
                                              |  江口伴治妻   |
                                              |          |
                                              +――女       |
                                              |  江口伴治妻   |
                                              |          |
                                              +――瀧蔵      |
                                                 近藤家嗣    |
                                                         |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――源
|  井上彌三郎妻

+――吉太郎盛敬 ――+――真寿野
|  大正15    |  寺山研太郎妻
|  室野崎氏    |
|          +――廣之助   ――+==慎吾   ――+――T
+――安吾      |  昭和5     |  猪原氏    |
   河原家嗣    |  室江口氏    |  平成6    |
           |          |  室廣之助長女 +――T子
           +――幸子      |         |  田中
           |  寺山正三郎妻  +――善子     |
           |          |  杉山環妻   +――S子
           +――潤吉      |            小西
              岡家嗣     +――慶子
                         大嶋太一妻

藤兵衛盛金は同町に分家して油製造業を始めました。妻は岡山難波町の大村半平盛重次女です(いとこ結婚)。
浅右衛門盛勝は長尾正悦の次男で藤兵衛四女の婿養子になっています。正悦の母は盛金弟十郎兵衛の娘ですから、この夫婦はいとこ半の間柄です。盛金には他に、作州田原の難波運右衛門、作州草加部村の福島五郎兵衛、宮地村の河本武右衛門、岡山紙屋町の権四郎へ嫁いだ娘がありました。

藤兵衛盛信は池田隼人の小姓となり後に家を嗣ぎますが、天明四年に亡くなっています。吉次郎は分家して酒造業を営み、町名主を努めます。美濃國で亡くなっていますので、公務出張中の死亡かも知れません。
盛勝の娘二人は建部新町の近藤貞右衛門長男小兵衛利胤と野々口村林安次郎に嫁いでいます。近藤小兵衛は破産して大村家へ寄居、その長男清兵衛盛巌が盛信の跡を継ぐことになりました。盛巌妻は近藤治四郎宗貞娘、宗貞は小兵衛の実弟ですから、この夫婦もいとこ同士です。宗貞娘が若くして亡くなった後に入ったのは河田八郎左衛門幸隆娘ですが、この二人もいとこ半の間柄です。

清兵衛の長男豊吉は藤兵衛盛一と改めて跡を継ぎますが、子がいなかったので弟の直介盛直(母河田氏 以下同)が兄の準養子となりました。盛一の妻八重は金川黒田氏です。亀三郎は赤磐郡土師方村の佐藤喜宗太の娘婿養子となりました。盛一の妹は佐伯藩土倉國老侍医高原太仲へ嫁いでいます。
直介盛直の妻虎は赤坂郡小倉の岸定四郎の娘です。盛巌の実弟が岸家を嗣いだ定四郎ですから、この夫婦もいとこ同士です。

盛介(見道、正路、字安宅)は近藤見通の跡を嗣いで医者として藩に出仕、後に岡山へ出ますが、五十を過ぎて多病となって帰郷します。妻は金川藩日置國老侍医景山氏の娘、後妻芳は備中庭瀬藩医岡田寛兵衛(養元、清祇)の三女でした。

藤十郎盛敬(重環)の妻通は佐伯藩医高原太仲の娘で、この夫婦もいとこ同士です。後妻太津は作州久米南條郡小原村の濱野利介娘です。盛敬には、作州西川村高橋茂三郎、備中足守藩賀陽郡門前村江口伴治へ嫁いだ妹がいました。江口伴治へは姉が嫁いで早世し、妹が後妻で入っています。直太郎盛胤は同町に別家して醤油醸造を始め、瀧蔵は元肥後屋近藤治四郎の娘婿養子となりました。

盛敬の長女「げん」は御野郡野田村の井上弥三郎へ嫁ぎ、長男吉太郎盛敬が家督を継いでいます。この妻於長は邑久郡辛嶋村西辛西下役野崎萬三郎の長女です。盛敬次男安吾は、油製造、質商、郵便局長を勤めていた市場屋河原達太郎の跡を嗣いで、後に大河原と改姓しています。その妻は同町近藤省吾の娘、後妻「つや」は上道郡西大寺町伊原源吉の長女です。

吉太郎盛敬の長女満壽野は都窪郡早島町の寺山研太郎へ嫁ぎ、次女幸子はその分家寺山正三郎に嫁いでいます。廣之助の妻彌寿子は岡山市門前江口仲吾の長女で、この夫婦もいとこ同士になります。潤吉は吉備郡総社町の岡家の養子となり、瞭他二女をもうけています。

慎吾は広島県芦品郡有磨村の猪原幸太郎四男で、廣之助娘清子の婿養子となって入っています。

分家出店
油屋

油屋直介盛直の次男米蔵は同町に分家して醤油醸造を始め、出店油屋直太郎盛胤と称します。近藤小兵衛利胤の祭祀を継いだようで、墓地には利胤夫婦の墓碑が建てられています。

直太郎盛胤――+==秀賢
明治44   |  中村氏
澤原氏   |
室前川氏   +==勝太郎
室片岡氏   |  石原
       |
       +==八太郎   ――+――次郎   ==和男  ――
       |  妹尾氏     |  室佐藤氏   砂田氏
       |  室家女     |    
       |          +――卓吾     室永原
       +――為子      |  梅島家嗣
          今井田清徳妻  |
                  +――政子
                  |  永原節夫妻
                  |
                  +――和子
                  |  今井田家嗣
                  |
                  +――佐和子

盛胤の妻は磐梨郡の澤原泰三郎娘、後に離縁となり、和気郡西片上村前川一濤の長女歌が後妻に入ります。この人も明治十五年に三十一才で亡くなって子がありませんでした。三妻須美は邑久郡南幸田村水門の片岡晋三六女で、明治十六年に嫁いできて長女伊和を生んでいます。伊和には三人の婿養子が次々に迎えられたようです。
始め、宇甘西村大字紙工の中村久次郎次男秀賢が入りますが故あって離縁となります。尚、秀賢母は上加茂村片山常太郎娘で、久次郎長男の三郎が中村家を嗣ぎ、三郎妻は窪屋郡大福村吉崎次郎吉娘です。
次ぎに入ったのは勝太郎で、上道郡西大寺村石原正太郎三男です。この人の母は和気郡日生町吉田彦兵衛娘です。

八太郎は真庭郡落合町大字開田妹尾弁太郎次男です。御津郡建部町田地子の行森亀妻花恵が、真庭郡落合町開田妹尾多茂吉長女となっています。八太郎は花恵の叔父くらいになるのかも知れません。
為子は赤磐郡佐伯北村大字光木の今井田清徳妻となっています。今井田家は大庄屋名主を勤めた家で、清徳は同郡高陽村大字神田國塩與三郎の三男、義光の養子となって入った人です。神田の花房家を訪ねた時、國塩與三郎の大きな顕彰碑を見ています。
次郎の妻澄江は岡山市福濱の佐藤馬之丞孫、卓吾は岡山市中島の梅島登喜次女の婿養子になっています。政子は備中妹尾永原節夫妻、キミセ醤油ですから同業者の縁組みになります。この娘桂子が母の実家大村家を嗣いでいます。和子は今井田清徳の養女になっています。


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