板野家
下道郡秦下村
代々岡田藩伊東氏に仕えていました。
七兵衛常勝――平右衛門常信――+――平右衛門信善――五右衛門智暁――嘉作友常――七兵衛常有==平右衛門常久――+ 元禄3 享保11 | 延享2 天明1 文政3 天保4 杉氏 | 室安延氏 室 | 室三島氏 室 室川西氏 室木村氏 嘉永3 | | 室 | +――女 | 板野常昌妻 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――健左衛門――+――信次郎 ――+――寿雄 | 慶應3 | 昭和5 | 昭和36 | 室岩藤氏 | 室高戸氏 | | | +――松枝 +――女 +――増太 昭和48 | | 杉家嗣 | | +――謙三重光 +――勇1853 | 原家嗣 安原才三郎妻 | +――登志 杉家嗣 | ? +――慶治郎 ――利忠 昭和55 室岩本氏
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藤田孝四郎 ‖ 大原清久―― 久野 +――――孫三郎 ‖ ‖ +――――直 ‖ 板野謙三重光1819 ‖ +――――+==謹吾1855――肇1883 ――健吾1901――謙・1937――・昭 ‖ | 板野氏 室1885 室1913 堀家鷹1829 | 室堀氏1859 | +==房1870 | 明治18 | +――萬亀1874 明治19
謙三は文政五年十月十五日生、幼時より父について漢学を修め、後に大原壮平の一人娘久野の婿養子となりました。一女直をもうけましたが、商業の家憲と気質を異にして大原家を去り、吉備郡宮内村の旧家堀家宮内の四女鷹(文政十二年生)と結婚しました。跡継がいなかったので親族にあたる謹吾(板野七兵衛次男 安政二年生)を養子とし、これに岡山藩士堀英生姉勇(安政六年生)を妻に迎えました。明治元年十二月、軒下に捨てられた乳呑み児を拾って房と名付けて養育する内、明治七年に実子萬亀が生まれました。事情があって謹吾夫婦と別居し、明治十二年、五十八才の時、下撫川に居を構えましたが、同十八年房は十八才で病死しました。その翌年には萬亀も十三才で病死、二女とも肺結核だったようです。二女を失った謙三には生業なく、大原家からの仕送りで晩年を送りました。
謙三は大原孫三郎の実祖父にあたりますので、孫三郎は謙三の命日に必ず墓参をしました。
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