大守家
津高郡一宮村




大守家は代々備前一宮吉備津彦神社の祠官を勤めた家です。大守と書きますが、大森とも書いた時代もあったようです。家紋は左柏に庵です。先祖は孝元天皇の後裔辛川臣とも、藤原支流とも云われます。卓爾隆成で七十七世と云われますが、はっきりした系図はなくなっているようです。分家で、児島郡林村(倉敷市林)の熊野神社祠官を勤めた大守家に伝わる系図によると、先祖は吉備津彦神社の祭神である弟彦命となっていますが、大守家の系譜については次の三通りの解釈があるようです。

1、吉備津彦命につながる三野臣
2、田使(たじ)難波氏
3、藤原支流

田使氏は吉備に屯倉、屯田(大和朝廷の所領)を置いたとき、ここから上がる租税の管理人として遣わされた者の子孫が田令(たつかい)→田使と名乗りかえ、吉備国津高郡駅家郷難波の地(岡山市一宮付近?)に住んでいたようです。三代実録に、光孝天皇の頃、正七位上田使首良男(たじのおびとよしお)という人が山城国愛宕郡に貫附、その氏族備前一宮神官という記事があるそうです。どうも後述の大藤内隆盛がこの難波氏と縁があり、系譜が混同されたように思います。中央の藤原氏に結びつけた三番目の解釈も同様ではないかと愚考しています。何れにしても古い歴史のある家ですから、いろんな家との縁組みを重ねているはずですし、また、時代の勢力地図にも影響されることもあったのではないでしょうか。

建久年中の当主大藤内(王藤内)隆盛は平家の家人妹尾太郎兼康に味方したという疑いで源頼朝に捕らえられて鎌倉に拘禁されました。この時、工藤祐経によって無罪を証明してもらい、大藤内は本領を安堵されました。安心して備前に帰りかけましたが、祐経に礼を云おうと途中から引き返しました。丁度、頼朝が富士の裾野で狩りをしていて、祐経もこれに従っていましたので、大藤内は祐経の陣営まで訪ねて、五月二十八日には酒杯を勧めて歓談をしていました。この時、曽我十郎祐成、五郎時致の兄弟が父の仇を討とうと、祐経に襲いかかったのです。大藤内も巻き添えを喰らって殺されました。この事件は吾妻鏡や曽我物語として後世に伝えられています。忠節を重んじたことが仇になったのですが、大守家ではこの大藤内は中興の主になっています。

正平十年、足利尊氏が官軍に攻められて近江に退却したことがありましたが、大森彌八重直は播磨まで兵を率いて足利軍に加勢しています。翌年、尊氏から拝領した感謝状が大守家に伝えられています。
応仁の乱では、大森藤兵衛尉隆行は山名軍に属し、備後方面まで遠征したこともありました。その忠勤に応じ、文明6年には将軍足利義政が、執事の布施下野守、松田丹後守を通じて感謝状を与えています。
天文二年、備前の守護赤松氏は被官である浦上掃部助村宗を通じて、備前国中の祭祀をきちんと行うように命じました。赤松氏は吉備津彦神社を崇敬していましたので、隆行の長男隆基がその責任者になっています。
永禄五年、日蓮宗に帰依していた松田左近將監元賢は吉備津彦神社を法華勧請にしようとしましたが、隆基はこれを拒否します。怒った元賢は数百の兵を率いてやって来て、社殿に火を放って金川に戻ろうとしました。隆基はこれを途中で待ち伏せし、元賢めがけて矢を射ると、これが元賢の眼に命中して絶命しました。

隆基の子幸秋もよく社務を行い、備中成羽城主三村越前守親成、小早川隆景、安国寺恵瓊などのために祈祷を行い、その都度感謝状をもらっています。天正三年に備中勢が辛川に押し寄せたときには、同子助七郎隆久が宇喜多家に味方して戦っています。同十一年に秀吉が高松城を攻めたときにも秀吉のために祈祷しています。
文禄三年には宇喜多秀家から、新しく開墾された窪屋郡西荘(平田村=倉敷市平田)の内三十石が寄進され、隆久が社務職となった慶長二年には秀家の代官として備前美作両国内に千四百五十石の知行を与えられています。その後も、朝鮮出兵に際し、宇喜多家から四百石の社領が寄進されています。

幸秋は、清水家に伝わる生石家系譜を書いた古文書にも登場するので、たいへん関心があります。その古文書には、「大森筑後守」とあり、「幸秋」と横に小さく書き添えられています。どうやら幸秋の妻が生石家から嫁いだ人のようですが、生石氏も後に大森姓を名乗ったり、一宮と接した山際城主など勤めていた人もあるので、生石家と大守家は他にも重縁を結んでいたのか、或いは本分家の関係ではないかと思います。生石氏が加茂城の戦いで毛利方から秀吉方に寝返ったのも、大守家と宇喜多家の信頼関係が影響していたのかも知れません。毛利方として備中高松城に清水宗治と共に篭城した中島大炊助元行は、自分の戦功を子孫に伝えるために戦記を書き遺しています。この中で、敵前で裏切った生石氏を悪く書いていますが、江戸時代になると、大炊助の子孫は、この憎むべき生石家と縁故の大守家と何度も縁戚関係を結んでいるのは皮肉なことです。

関ヶ原の戦の後、宇喜多家に代わって備前に入国した小早川秀秋も、津高郡芳賀村の内百八十石、一宮敷地百石、神主屋敷二十石、併せて三百石の社領を安堵しています。

慶長八年、世継ぎがなくて断絶した小早川家に代わって池田輝政が備前藩主となりました。隆久は、輝政が派遣した家老荒尾平左衛門成久を迎えて国内を案内し、国内の地図製作にも手助けしています。この功績によって津高郡代官(大庄屋職)に任じられています。慶長十八年、輝政の子忠継の代になると、社領三百石を安堵されます。これは後に光政の時代になっても同様に対応され、寛永十七年、隆久は京都の神祇官領長上卜部兼里に会って神道裁可状を受けています。寛文七年藩主光政の命令で松岡市之進助延が国中の神官の総領となり、隆久の孫光隆、武田内記、松下日向の三人が大頭に任命されました。延宝八年、光隆は国中社家総頭となっています。

以上、いまの神主さんのイメージとはずいぶん違います。秀吉が天下を統一して刀狩をするまでは、日本国中、ごく一部の恵まれた人達を除いてみんな武器を持って自分の家族や財産(土地)を守っていました。広い領地を抱えた寺院や神社は大きな兵力も持っていて、その集団の動きが戦況を左右することもあったようです。もちろん、神と人間を橋渡しする立場でもあるので、由緒ある寺院や神社が味方に付いてくれるかどうかは、兵士の精神的面にもずいぶん影響があったのでしょう。

弟彦命――吉備根――速野別――直主臣――水野臣――国部臣――師形――三野麿――国麿――多美麿――盛臣――寛詮――+
                                                        |
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+―― 重信――・・・――敏臣――・・・――道臣――高梁――+――諸宗  ――+――時風――+――時峯
          (此の間虫喰不明)           |        |      |
                              |        |      |
                              +――女     +――女   +――時名 ――+
                              |  難波氏妻  |      |  長治3  |
                              |        |      |       |
                              +――宗行    +――女   +――時久   |
                                                      |
                                                      |
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+――王藤内介師定==左衛門是道==諸冬 ――大藤内隆盛――大藤内介盛義――大藤内太夫種康――右京太夫国頼――+
|          大森氏    時名男  建久4                              |
|                                                      |
+――女                                                   |
|                                                      |
|                                                      |
+――女                                                   |
|  賀陽氏妻                                                |
|                                                      |
+――乙丸                                                  |
   是道跡嗣                                                |
                                                       |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――頼弘――左馬之丞行守――惟康――民部少輔基弘――左京亮長治――+――彌八重直――+――越前守惟佐――+
                                  |        |         |
                                  |        |         |
                                  +――女     +――彦七     |
                                     賀陽氏妻  |         |
                                           |         |
                                           +――男      |
                                           |  *所家嗣   |*=禾+最
                                           |         |
                                           +――民部     |
                                           |         |
                                           |         |
                                           +――男      |
                                           |         |
                                           |         |
                                           +――男      |
                                                     |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――筑前守維賢――+――筑後守徳基――+――藤兵衛隆行――筑前守隆基――+――藤兵衛幸秋 ――+――筑後守隆久 ――+
          |         |         天正19   |  慶長1     |  寛永12    |
          |         |                |          |  室生石氏    |
          +――男      +――新四郎郷親         +――祝部基#    |          |
          |         |                |  難波基道跡嗣  +――五郎兵衛隆信  |
          |         |                |          |  大森景隆跡嗣  |
          +――生石大和守  +――弥太郎           +――女       |          |
          |         |                |  三宅忠延妻   +――五郎兵衛心安  |
          |         |                |          |          |
          +――弥七郎    +――女             +――女       |          |
             徳基準養子  |  高畠氏妻          |  大森弥助妻   +――菊子      |
                    |                |             寺尾一元妻   |
                    +――女             +――女                  |
                    |  大村氏妻          |  宇野某妻               |
                    |                |                     |
                    +――彦七久基          +――女                  |
                                     |  松田某妻               |
                                     |                     |
                                     +――男                  |
                                     |  高久跡嗣               |
                                     |                     |
                                     +――女                  |
                                                           |
                                                           |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――代子
|  横部家忠妻

+==大藤内左衛門正勝――+――松子
   基#次男      |  今村次吉妻
   明暦2       |
   室岡氏       +――豊子
             |  福武義元妻
             |
             +――大藤内左衛門光隆――+――賢快
             |  貞享3       |  享保14
             |  室松岡氏      |
             |            +――源八郎
             +――栗子        |
             |  加地元通妻     |
             |            +――二郎吉
             +――理左衛門隆同    |
             |  吉正跡嗣      |
             |            +――土之助
             +――忠順        |
             |  寛文12      |
             |            +――久米子
             +――丞子        |
             |  寺尾一家妻     |
             |            +――清子
             +==新発意       |
             |            |
             |            +――勘四郎
             +==宇兵治忠次     |
                横部家忠次男    |
                林村分家      +――肥後守隆美 ――+――種子
                          |  寛延2     |  為直妻
                          |  室中島氏    |
                          |  室守田氏    +――曽與子
                          |          |  
                          +――源左衛門隆従  |
                          |  享保16    +――伎與子
                          |          |  大守主税妻
                          +――治部光屋    |
                          |  元文4     +――きよ
                          |          |  片伊勢東宇妻
                          +==齋宮一全    |
                             寺尾氏     +――大藤内左衛門隆寛――+
                             心安跡嗣    |  安永4       |
                                     |  室中島氏      |
                                     |            |
                                     +――鹽子        |
                                     |  兒山内膳妻     |
                                     |            |
                                     +==園子        |
                                        本庄氏       |
                                                  |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――三河守隆房――+――肥後守隆尚――+――亀子
|  文化2    |  文政3    |  堀家清幸妻
|  室中島氏   |  室廬屋氏   |
|         |  室古田氏   +――筑後守隆q  ――+――藤市郎
+――登羽子    |         |  嘉永5      |
|  寛政8    +――常次郎盛吉  |  室鳥越氏     |
|         |  軽部家嗣   |           +――浪江隆公 ――+――浪江隆知
+――隆正     |         +――兵次郎      |  明治20   |  文久3
|  堀家氏嗣   +――辨之介隆光  |           |  室渡邉氏   |
|            寛政7    |           |         +――光子
+――小佐野              +――兼子       +――秀之助    |  保澤家茂妻
   護直妻             |  中島新左衛門妻  |         |
                    |           |         +――総子
                    +――幾津子      +――藤次郎春雄  |  三村政太郎妻
                    |  足利義繁妻              |
                    |                     +――志計
                    +――藤兵衛                |  中田重美妻
                    |                     |
                    |                     +――    隆智――+
                    +――高子                    明治29    |
                       関乕之介妻                 室       |
                                                     |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+==卓爾隆成――+――公子
   三村氏   |  久山正策妻
   昭和47  |  
   室野島氏  +――坦    ――+――和子
   室森脇氏  |  平成2    |  矢木薫妻
   室奥田氏  |  室高橋氏   |
                  +――隆   ――+――裕   ――
         +――明         室柴氏   |  室高橋氏
         |  平成25                     |                  +――美賀
         +――陽子
            廣本文泰妻

隆久には跡を継ぐべき男子がいなかったので、従弟正勝を養子にしています。

瀧口美領(姓は紀、通称将曹、和歌を善くする)が肥後守隆美の第三子(安永四年正月廿二日)とあります。墓地にある「瀧源左衛門隆従享保十六年八月朔日」が何か関係がありそうです。

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彦七  ――+――男
      |
      |
      +――男
      |  伊豫国霞の家を継
      |
      +――将監
      |  吉永家嗣
      |
      +――女
         松田氏妻

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弥七郎  ――+――男
       |
       |
       +――男
       |  橋本の家に入
       |
       +――男
       |  備中鴨の祐子になる
       |
       +――女
       |  備中生石に入
       |
       +――女
       |  鹿田の家に入
       |
       +――女
          菅野横井の家に入

難波      大森
藤左衛門基道==祝部基#――+――神七郎基$――藤兵衛吉正――+――千子
        隆基次男  |         慶安5    |  万治2
        慶長・   |                |
              |                +==理左衛門隆同――+――銀子
              +――正勝               正勝次男    |  正徳5
                 隆久跡嗣             元禄15    |
                                  室武部氏    +――対馬隆忠 ――+
                                  室玉虫氏    |  寛保3    |
                                  室山川氏    |  室菅氏    |
                                          |  室今村氏   |
                                          |         |
                                          +――砂子     |
                                          |  大守一全妻  |
                                          |         |
                                          +――志知子    |
                                             某氏妻    |
                                                    |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――甚之丞


+――須磨子


+――加與子
|  三浦義陣妻

+――類牟子


+――源太隆代 ――+――菊野
|  安永6    |  三浦義直妻
|  室江崎氏   |
|         +――小源太隆経――+――源太隆棟    ――圓之介
+――佐那子    |  文化12   |  寛政12
|  某氏妻    |  室家田氏   |  室高田
|         |  室佐分利氏  |
+――隆成     |         +――梅代
   一全跡嗣   +――澤子     |  賀陽貞持妻
          |  某氏妻    |
          |         +――小源太
          +――小島     |
          |  石部政盛妻  |
          |         +――帯刀隆盛 ――+――亭吉隆村
          +――東市有信             |
             杉村家嗣      室伊丹氏   |
                              +――千草隆樹
                              |
                              |
                              +――女
                              |
                              |
                              +――松野


藤兵衛景隆==五郎兵衛隆信――筑前掾隆久――+――筑前掾隆行――河内掾隆起――+――民部隆里
       幸秋次男    貞享1    |  正徳3    宝暦5    |  宝暦5
       寛永・     室      |  室      室服部氏   |  室赤木
               室      |                |
                      +――齋宮隆恭          +――女
                         家嗣           |  中山光幸妻
                                       |
                                       +==主水隆明 ――出羽隆至――+
                                          小郷氏    文政7   |
                                          寛政12         |
                                          室赤木氏         |
                                                       |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

|  安田改姓
+――永秀隆信――+――三男子
         |
   室安田氏  |
         +――文禮隆尚
            塩見家嗣

この家の墓は、平川ヒデが管理していましたが、いまは祀る人もいなくなっています。

五郎兵衛心安==齋宮一全 ==名雄岐隆成――冨五郎隆長――常雄隆昌――+――勇之介義記――+――熊
        寺尾氏    隆忠三男   文化8年   明治9   |  明治28   |  平川貞五郎妻
        光隆養子   寛政4    室奥山氏   室藤井氏  |  室井上氏   |  後則武家再興
        延享2    室難波氏          室成廣氏  |  室並倉氏   |
        室隆同次女  室堀家氏                |         +――右馬太   ――+
                                   +――直徳        昭和26    |
                                      太美家嗣      室三宅氏    |
                                                        |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――梅代
|  小林登妻

+――久志夫  ――+――裕忠
|  昭和20   |
|  室日笠氏   |  室
|         |
+――安子     +――章義
|  日笠貞明妻  |
|         |
+――真佐子    +――英義
   金谷忠勝妻


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