片山家
都宇郡高沼村





阿波国三好氏の重臣三宅五郎左衛門が、戦国時代末期に讃岐から児島へきて、その一子新左衛門が片山を名乗って尾原村に住みました。3代重兵衛の子伊兵衛が宝永のころ高沼の新田を買い取って移住しました。土地を増やし、やがて早島領の大地主になりました。本家と南分家は早島戸川の家来になり、他に一族が方々の庄屋や大庄屋を勤めています。庄屋は西田村、高沼村、高須賀村、早島新田村などです。寛政期、早島の義倉を作る時その費用の多くを片山家が出したと言う記録もあります。最盛期の土地は400町歩余、石高で四千数百石にも及んで領主戸川家の家禄三千石を上回っていました。

この付近は海を埋め立てた干拓地で、干拓のあとしばらく塩分が残りますから、それに強い作物として元禄中期から綿栽培が始まりました。文化・文政のころ村の30%くらいが綿畑で、その半分が片山家の土地だったそうです。片山家が大きくなったのも、この綿という投機性が高い農作物のおかげのようです。天領倉敷町もこういう周辺地域に支えられた綿商人の町でもありました。

三宅    片山
伊兵衛 ==新助忠清――+――伊兵衛
元文1   片山氏   |  寛延3
佐藤氏  天明4   |
室     室高塚氏  +――槌三郎
            |  宝暦10
            |
            +――源蔵忠吉――+――新助寛明     ――琴
            |  寛政6   |  寛政9        信成妻
            |  室片山氏  |  室亀山
            |        |
            +――磯次郎   +――添
            |  東分家   |  尾崎道光妻
            |        |
            +――庄蔵    +――新左衛門典義――+――たまの
                     |  天保10    |  亀山照吾妻
                     |  室神坂氏    |
                     |  室那須氏    +――和次平和
                     |          |  嘉永1
                     +――重兵衛重恭   |
                     |          +==新吉忠得 ――+==直三郎
                     +――亀蔵      |  亀山氏    |  高戸氏
                        沖新田分家   |  明治10   |  明治3
                                |  室金谷氏   |
                                |         +==亀太郎重熈==屋須 ――+
                                +==護吉        尾崎氏    時庸娘  |
                                   分家        明治14   大正8  |
                                             室金谷氏        |
                                                         |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+==廣斗  ――+――久子
   秋山氏   |  矢野氏嫁
   昭和19  |
   室若林氏  +――栄太郎 ――廣太郎
            昭和62  平成12
            室濱崎氏

伊兵衛の妻は林村佐藤氏となっています。
新助忠清は初代伊兵衛兄の子で、宝暦年間に戸川領の児島湾干拓に尽力し、元文四年に沖新田村川田村妹尾村との用水争いで、幕府に訴えて勝っています。天明4年に80歳で死去し、墓は如水庵にあります。おそらくこの人が一族の基礎を創った人でしょうか。多くの家の歴史を眺めて、共通しているのは、こういう人がたいへん長寿であるということです。

寛延3年に亡くなっている伊兵衛の墓碑は数田家の墓碑と混在して建てられています。
源蔵忠吉の妻は尾原村片山忠義娘とあり、郷里の本家との縁戚付き合いも盛んであったことが解ります。
新助寛明の妻は御野郡中仙道村亀山氏です。
新左衛門典義(忠誨)の妻は西大寺神坂氏、後妻は牛窓の奈良屋那須氏(無子)です。
新吉忠得(忠信)は辰巳村亀山照吾に嫁いだ「たまの」の長男で、帯江村史では忠誨と混同されているようです。その妻は周匝村金谷氏です。
直三郎は鴨方村高戸氏で、わずか9歳で死去していますが、○○院○○居士という立派な戒名が付いていて驚きます。
亀太郎重熈は、加須山尾崎庄左衛門盛広の子で、その妻は周匝村金谷助エ文長女、尾崎、金谷、片山3家の複雑な重縁になっています。
廣斗は和気町秋山仙造の長男、その妻は岡山石関町若林氏です。
廣太郎の墓碑には「丸に洲浜」の家紋が入っています。

分家の流れは次のようになります。

磯次郎利厚――+――磯次郎言信 ――+――鹿祐忠敬――+――譲右衛門敏徳
天明8    |  文化11    |  文久2   |  元治1
室那須氏   |  室大嶋氏    |  室難波氏  |
佐藤氏   |          |        |
       +――源蔵 南分家  +――恒次郎   +――竹 難波可宗妻
       |          |  佐藤家嗣  |
       +――茂子 亀蔵妻  |        +――浦 木村政常妻
                  +――保太郎   |
                  |  佐藤家嗣  +――理源太
                  |
                  +――貞
                  |
                  +――香枝
                     東原家嫁

磯次郎言信は、文化10年、沖新田庄屋を勤めていた時代、早島・箕島村と備前児島臨海諸村との境界争いのために江戸へ出張、勝訴しましたが、その心労のためか同11年に江戸築地戸川邸で病死しています。現代でいう過労死でしょうか。妻は倉敷村三好屋大嶋甚兵衛の娘となっています。
敏徳は元治1年に亡くなり、このあとを嗣ぐ者がいないため、福田古新田佐藤穏経が祭祀を引き継いでいます。
東分家初代の次男源蔵は分家して清次郎信成と改めています。

分家の流れは次のようになります。

清次郎信成==孝太郎延壽――+――賀代 惟益妻
文化8    片山氏    |
室片山氏   明治13   +――壽賀太郎時庸 ==貞太郎保常――+――好文忠質――+――圭太郎
       室石原氏   |  明治33     佐藤氏    |  大正15  |  昭和11
              |  室小野氏     昭和3    |  室万波氏  |
              |           室小野氏   |        +――男
              +――観 佐藤穏常妻         +――忠泰       室三島
              |                     分家
              +――屋須 本家嗣
              |
              +――照
              |
              +――万九永

孝太郎延寿の妻は、邑久郡服部村石原平谷長女となっています。
寿賀太郎は早島戸川家御蔵元元締添役を勤めています。この妻は沖村小野氏です。
屋須は加須山尾崎氏へ嫁ぎ、夫死後復籍、その後に本家を嗣いでいます。
貞太郎保常は福田新田村佐藤氏で、生母は延寿娘観です。天城小学校校長、豊洲村村長を勤めました。

忠泰は分家してその後は次のようになります。

忠泰  ――+――都彦
昭和10  |
佐藤氏  +――女

沖新田分家の流れは次のようになります。

亀蔵為善――+――孝太郎
文政1   |  南分家嗣
室片山氏  |
      +――女
         文政6

茶屋町町史80頁に、慶應元年の早沖村役人及び早島戸川領内の主な家格が列記され、「片山升平 苗字他所帯刀御免 沖新田村庄屋」とあります。帯江村史419頁には孝太郎は早島戸川家御蔵元元締添役沖新田庄屋とありますので、升平=孝太郎でしょうか。

隠居
屋の流れは次のようになります。

護吉義親――+――豊太郎   ――法平  ――+――幸恵   ――洋介
瀬崎氏   |  大正9     昭和48  |
井上氏  |  室井上氏    室石井氏  +――女
      |                   宇都宮家へ
      +――愛吉
      |  明治20
      |
      +――仲
         石井保太郎妻

護吉は本家五代後妻の甥(瀬崎氏)で、後恭蔵義観と改めています。茶屋町町史79頁、慶應元年の早沖村役人及び早島戸川領内の主な家格では「片山護吉 大庄屋格次席 苗字帯刀御免 御義倉方、高沼村庄屋」とあります。

法平の妻は胸上村石井保太郎次女、長女幸恵の子があとを継いでいます。


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