尾崎家・西屋
窪屋郡加須山村
清和源氏里見氏(上総國里見発祥)の流れで、里見助七郎重盛が新田義貞の軍に加わって備中福山で足利直義の軍と戦って敗北し、都宇郡中庄尾崎に逃れて、その後窪屋郡東阿知村の山麓(倉敷市生坂)に住んで尾崎と改姓しています。
その子重常は毛利家に仕えますが、秀吉の高松城水攻めのあと帰農しています。重常は生坂青水谷に葬られています。
生坂の御崎神社は勝三郎重政が甥の盛則、重宗と共に慶長17年に遷宮したものと云われます。農業用水確保のための肥後池も尾崎氏が遺した事業です。
庄左衛門盛則、伝右衛門重宗の兄弟は、二日市村(倉敷市)に住んで、窪屋郡笹沖村新田開発を研究、藩に新田開発を出願し、寛永1年に加須山に新田を完成させています。この背後には親族になる二日市の平松家(盛則姉が嫁ぐ)、粒江の小川家(盛則の子盛永妻の実家)などの協力があったものと思います。また、盛永の娘には窪屋郡子位庄村で八ヶ郷用水樋守役を勤めていた窪津家から養子を迎えて分家を立てさせていますが、これも新田開発には欠くことの出来ない用水問題の処理を行う課程での政略結婚ではないかと思います。
盛頼の妻は阿曽村(岡山市)の横田氏で、次男の三太夫はこの姓を名乗って戸川家の家老職を勤めています(江戸屋敷で死去)。
盛幸の次女トラは鳥羽村(倉敷市)の八木伝五郎に嫁いだ後離縁となり、備前國御野郡上伊福村(岡山市)の岡家に嫁いでいます。また、その妹ヤスは御野郡辰巳村(岡山市)の亀山家に嫁いでいますが、この辺りの縁戚関係は、中島富次郎栄武の親類縁合書を改めて興味深く見直されます。即ち、
一、軽部の親類
○加茂岡崎氏へ養子に参る
○下庄難波氏へ同
○箭田守屋分家
○中島村源左衛門子為蔵・・・参今の・三郎父也母は岡山片瀬町は松取源五郎家より此姉辰巳平六妻(判読不明文字有り)
○西郡守安氏も縁あり
○総社戎屋も同断
○天城亀屋藤原方へ旧縁あり
一、下庄の親類
○辰巳笠之介妻下庄より行、重縁
○周匝村金谷氏
○加須山中より今の猶兵衛祖母来
○岡山橋本町武田善次郎
中島栄武の孫娘お君は上伊福村(岡山市)の岡鷹太郎に嫁ぎますが、後に息子孫太郎を連れて実家を相続しています。
縁合書に出てくる「辰巳」というのは家の名前でなくて、軽部(脇本家)、下庄(難波家)と同様に亀山家のことだろうと思います。家を指したり土地を指したり、縁合に関する書類、言い伝えというのはたいへん複雑ですから頭を柔らかくしてみるということがとてもたいせつです。
鴨方村の奈良屋分家高戸東太郎公秩妻梶が御野郡中仙道村亀山平六成経長女とあり、中仙道と辰巳が隣接(共に今は岡山市)しているので、両村の亀山家は同じ株ではないかと思います。
源 里見太郎 清和天皇――貞純親王――経基――満仲――頼信――頼義――義家――義國――義重――義俊――義成――義基――氏義――+ | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | | 尾崎主殿助 +――重高――重昌――重広――重時――重弘――重房――三蔵盛重――助七郎重盛――+――肥後守重常――+ 天文22 | 寛永7 | 室熊谷氏 | 室三輪氏 | | | +――勝三郎重政 | 寛永21 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――忍 | 平松六郎右衛門妻 | | 西屋 分家山根 +――庄左衛門盛則――勝左衛門盛永――+==彦兵衛 | 寛文3 慶安2 | 窪津氏 | 室内田氏 室小川氏 | 室家女 | | | 中屋 +――三郎太夫盛頼――+――女 +――伝右衛門重宗 | 元禄16 | 坪井喜平次妻 | 室横田氏 | | +――勝左衛門盛幸――+――しゃう +――女 | 享保20 | 平松政右衛門妻 尾崎重綱妻 | 室尾崎氏 | | +――藤五郎盛次 ――+ +――三太夫 | 延享1 | 寛延1 | 室尾崎氏 | | | +――とら | | 岡孫兵衛妻 | | | +――安 | 亀山権右衛門妻 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――かつ | 水澤殷満妻 | +――定右衛門盛芳――+――荘三郎道光 ==復右衛門清保==庄左衛門盛廣――+――為世 寛政9 | 文化4 金谷氏 秋山氏 | 秋山廣政妻 室亀山氏 | 室片山氏 文政2 安政6 | | 室道光娘 室清保娘 +――女 ――+ | | 井上惟焔妻 | +――女 | 後実家嗣 | | 三好新左衛門妻 | | | +――亀太郎重熈 | +――善左衛門 片山家嗣 | 井上家嗣 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +==生三 ――+――鶴子 高戸氏 | 楢崎家嫁 昭和26 | 室井上氏 +――尚文 | 昭和56 | 室小野氏 | +――武 | 室小野氏 | +――英雄 昭和61 室柴原氏 室三浦氏
復右衛門清保は備前國赤坂郡周匝村の金谷常右衛門光経次男です。上記の中島栄武の縁合書にも金谷家のことが書いてあります。清保もどこかで尾崎家の血脈を引く人なのかも知れません。
盛広は備前國和気郡和気村の綿屋秋山家からの養子です。その次女久賀は倉敷村の古禄井上家(華屋)に嫁ぎ、夫が晩年に多病のため、夫婦共に尾崎家で暮らしています。夫秀三惟焔が亡くなった後は尾崎家の当主として暮らし、鴨方村(浅口郡)奈良屋高戸家から生三を養子に迎え、これに華屋の本家宮崎屋から嫁を迎えて家を継がせています。
中屋の家系は次のようになります。
伝右衛門重宗――+――市郎右衛門―――+――伝右衛門重綱――+――女 亀山家嫁 寛永17 | 室小野氏 | 室尾崎氏 | 室吉田氏 | | 室亀山氏 +――女 木村家嫁 室小野氏 +――多兵衛 | | | 分家酒屋 +――茂右衛門 分家 +――久左衛門――――+==伝右衛門永処――――――+ | | | 室亀山氏 | 尾崎氏 | +――女 亀山家嫁 +――某 分家酒屋嗣 | | 明和6 | | +――十郎兵衛 | 室家女 | +――女 原田家嫁 | | | | +――女 木村家嫁 +――女 服部家嫁 | +――女 平松家嫁 | | | +――女 尾崎盛幸妻 | +――忠次郎 | | 服部家嗣 +――義太夫 酒屋嗣 | | | +――女 原田家嗣 | | | +――吉左衛門 分家 | 室犬飼氏 | 室小川氏 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――女 尾崎盛次妻 | +――伝右衛門永久―――+――女 難波家嫁 | 寛政10 | | 室服部氏 +――定兵衛―――+――女 小倉家嫁 | 室尾崎氏 | 室井上氏 | | | +――伝右衛門嘉吉 +――栄吉 原田家嗣 +――与惣次 | | 服部家嗣 室片岡氏 +――女 笹井家嫁 | | +――喜一郎 +――女 亀山家嫁
伝右衛門永久の長女が下庄の難波家に嫁いでいて、これは上記の中島栄武縁合書と一致します。
服部という家が頻出していますが、これらは御野郡福富村(岡山市)服部家のようです。
定兵衛の妻は児島郡胸上村吉田屋井上正一の娘、姉が牛窓(邑久郡)の東原初右衛門(常次郎景光)に嫁いでいます。
嘉吉の妻は邑久郡幸田村(岡山市)の片岡氏ですが、中島栄武の妹録が舟尾村(浅口郡)の小野篤治に嫁いで離縁となり、その後、幸田村の片岡徳輔の妻となっています。片岡家とも離縁となり、最後は鴨方村の高戸孝善の妻となっています。たいへん複雑な重縁関係が隠れているように思います。
ということで、脇本家の系譜を調べながら見直した中島栄武の縁合書がきっかけで、尾崎家の系譜をまとめてみようと思ったわけですが、もともと尾崎家は生坂の出ですが、いまの生坂でも尾崎は多い姓の1つです。
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